会津・喜多方編(18):旧滝沢本陣(09.8)

 そして滝沢峠の登り口および飯盛山のすぐそばにある旧滝沢本陣に到着です。旧家の横山家住宅ですが、藩から本陣の指定をうけ、座敷の部分が東側に追加建築されたそうです。休息が目的の本陣で、参勤交代や領内巡視、土津神社祭礼の時などに使用されました。戊辰戦争のときは会津藩の本陣となり、藩主松平容保がここで白虎隊に戸ノ口原への出陣を命じたということです。後に西軍の屯所となったこともあって、柱や雨戸には当時の刀傷や弾痕が生々しく残っています。いやあ、実はここだけの話、私、男、もといっ、弾痕フリークで、弾痕や刀傷が残っていると聞くとついふらふらと寄ってしまいます。これまでも、伏見の寺田屋(寺田屋事件)、根来寺(秀吉の根来攻め)、大阪の適塾(塾生の喧嘩)、南千住の円通寺・谷中の経王寺・上野の両大師堂(上野戦争)、京都御所の蛤御門(蛤御門の変)、鹿児島の私学校跡(西南戦争)、江戸東京たてもの園の植村邸日立航空機立川工場変電所(米軍の空襲)と、いろいろな弾痕・刀傷を見てきましたが、こちらのものはかなり多いですね。会津戦争の激しさを感じ取ることができます。一番凄まじかったのは、もちろん米軍の空襲によるものでしたけれど。立川工場変電所の壁面とくらべると、旧滝沢本陣の弾痕が天使の口づけに見えてきます。
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 そしてすぐ近くにある妙国寺へ。会津戦争後に、松平容保父子が一カ月間入寺謹慎した寺で、飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体を最初に葬った所でもあります。すぐ近くには「悪の芽をわれらの愛の手で」という何とも大上段な標語がありました。必ず最後に愛は勝つ、というわけですね。その意気やよし。
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 さあそれでは飯盛山に向かいましょう。白虎隊伝承史学館の前を通ると、中から若者たちがぞろぞろぞろぞろ出てくるのには驚きました。白虎隊に関心をもつ若者が多いのでしょうか。そのすぐとなりが飯盛山への登り口です。自転車を駐輪して、さて上りますか。長い石段のとなりにはスロープコンベアという、動くベルトに乗ると頂上まで運んでくれる施設がありました。料金は250円か… 後学のために乗ってみましょうか。いや、決して歳のせいで疲れているとか、そういうわけではありません。あくまでも後学のためです、後学のため。料金を支払い、二本乗り継ぎすこし階段を上ると白虎隊の墓に到着です。
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by sabasaba13 | 2010-05-28 06:25 | 東北 | Comments(0)
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