伊藤若冲展

c0051620_8253455.jpg 今夜のご飯は、山ノ神お手製のうどんすきです。熱々の鍋をもった彼女が叫びました。「テーブルのど真ん中を空けて! …ど真ん中? うどんすき? ドマンナカ・ウドンスキー! まるでロシア人の名前みたい!」 おあとがよろしいようで。
 まくらはこれくらいにして、利休鼠の雨がそぼ降るある日曜日、展覧会のはしごをしてきました。午前は千葉市美術館で「伊藤若冲 アナザーワールド」展、午後は府中市美術館で「ノーマン・ロックウェル オールディーズ、その愛しき素顔たち」展です。首都圏をほぼ横断することになるので、移動時間に読む本として「世界の歴史11 新大陸と太平洋」(中屋健一 中公文庫)を持参しました。総武線快速に乗って本を紐解いていると、気がついたら千葉駅に到着です。駅から徒歩十五分ほどかかるということなので、雨も降っていることだし駅前からバスに乗ろうとしましたが…どのバスなのかよくわかりません。すくなくとも一目ですぐ確認できるような案内表示は見当たりませんでした。車というゴブリンの跋扈を抑えようという志が千葉市にあるのだったら、ぜひ善処してほしいいものです。せんかたなし、駅前の地図を写真に収め、それを頼りに歩いて行くことにしました。十数分歩くと、千葉市美術館がある真新しい市役所ビルに到着、ここの七・八階にはいっているようです。それにしても美術を鑑賞する気持ちを粉微塵に雲散霧消させるような、周囲の雰囲気と当該ビルの佇まいでした。無味乾燥なオフィス街の中に屹立する無機的な冷たいビル。近づくにつれて気持ちが高揚しワクワクするようなアプローチが、美術館には欲しいですね。イサム・ノグチ庭園美術館アルテ・ピアッツァ・美唄が懐かしい。さて開館より二十分ほど早く着いてしまったが、入口前には数人の方が並んでいるだけ。どうやら殺人的な混雑ではなさそうです。それでは喫茶店を捜してモーニング・サービスをいただいてくるかな。テクテクテクテクテクテクテク…ない。何て不毛な所に美術館を建てたのだと呪詛の言葉を投げつけたくなりましたが、人を呪はば穴二つ、ここは忍の一字です。結局見つからず、すごすごと開館五分前に美術館に戻ると、もう入場できるようでした。エレベーターに乗って八階に行く、さっそく中へ入りましょう。
 彼の絵とは、四年前に上野の東京国立博物館で「プライス・コレクション 若冲と江戸絵画展」を見て以来の再会です。本展覧会は、華麗な着色画ではなくしぶい水墨画に焦点を当てたもので、彼の違う一面に出会えるのが楽しみ。まずは、若冲が影響を受けたといわれる河村若芝・鶴亭らの黄檗絵画が展示され、そして若冲ワールドのはじまりはじまり。まず目を奪われたのが、その自由闊達にして融通無碍な筆さばきです。白い和紙の上にさまざまな色合いの墨で引かれた一本の線、それがなんと能弁に多様な世界を物語ることか。鋭く、柔かく、なまめかしく、力強く、生き生きと走る線、その練達の技には言葉もありません。そしてその線が紡ぎだす見事なフォルム。着色画では微に入り細を穿つ写実的な表現を得意とする若冲ですが、まるでそこから解き放たれたかのように、「私にはこう見えるのさ」と対象を活写します。細長い楕円形が二つ寄り添うように並んでいますが、なんじゃこりゃ? 寒山拾得の後ろ姿でした。そう言われるとそう見えてくるのが不思議です。「お顔はご自分で想像してね」とにこりと笑む若冲の姿が目に浮かぶようです。お馴染みの鶏の足元には、シンプルかつ繊細な線で数羽のひよこたちが生き生きと描かれていました。ほわほわとした羽毛の柔らかさすら伝わってくるようです。そして大胆な構図への挑戦。「く」の字型に折れ遊弋する鯉は、胴部をあえて画面に描かないことによってそのダイナミックな動きが際立ちます。
 嬉しかったのは、「果蔬涅槃図」を見られたことです。いわゆる「見立て涅槃図」ですが、さすがは青物問屋の主人、大根の死を悼んで、たくさんの野菜や果実が彼をみとっています。シンプルな描線と濃淡の墨で的確かつ大胆に描かれた果蔬たちの慟哭の声が聞こえてくるようでした。われわれを生かすために、その生命を断たれる野菜や果実たちへの深い深い慈愛が伝わってきます。
 ああ大満足でした。なお同時開催されていた「江戸みやげ 所蔵浮世絵名品選」も思いのほか魅せられました。春信・歌麿・写楽・広重・北斎といった大御所の作品にくわえ、この前見損なった国芳の「相馬の古内裏」が見られたのは僥倖でした。小林清親描く情緒にあふれた夜景や、月岡芳年描く那智の滝を浴びる文覚のえげつないほどのけれん味もいいですね。この二人の展覧会が開かれることを期待します。

 外へ出ると雨はまだあがっていません。たまたま見つけた「マダム・ボン・ボニエール」という洋菓子屋さんに入って、ミートソース・スパゲティをいただきました。アルデンテの歯ごたえを楽しみながらふともの思いにふけりました。先日見た歌川国芳が徹底的に人を楽しませる生粋のエンターテイナーだとしたら、若冲は何と言えばいいのだろう。徹底的に自分が楽しむ生粋の画家かな。絵が好きで好きでたまらない、といった雰囲気が絵のはしばしから漂います。あの練達の技術を身につけるための厳しい修練が苦にならない、いや快楽でさえあったのだろうと想像します。モーツァルトもそうですが、天才とは生まれつきの才能をもつ人ではなく、自らが選んだ分野をこよなく愛し、技を習得するための努力が苦にならない人のことなのでしょう。ただひたすらに絵を愛し、徹底的に技を磨きあげ、そして新しい美を創造するための挑戦を生涯かけて行う、そういう画家がこれからもたくさん現れてくれることを祈ります。現代美術がいまひとつ面白くないのは、「こんなことふつーできないよ」と驚嘆の声をあげたくなるような、卓抜な技が欠けているからではないかな。それでは府中へと移動しましょう。
by sabasaba13 | 2010-05-30 08:26 | 美術 | Comments(0)
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