京王線東府中駅でおり、十分ほど歩くと府中の森公園の入口につきました。ここから公園の中を抜け、並木道を通って府中市美術館まで数分で到着します。あいかわらず小糠雨が降りつづいており、人影もまばらです。テニスコートは雨天中止、すぽこんすぽこんとボールを打ち合う音もありません。雨に濡れて嬉しそうに輝く若葉、木々の吐く息に満ちているような清新な空気、餌を求めて飛び交う鳥たち、歩いているだけでも幸せな気分になります。さきほどの千葉市美術館の雰囲気とは、月と鼈、雲と泥、提灯と釣り鐘、自転車と自動車、スワローズとジャイアンツ、ほどの違いがあります。さっそく入場すると、中はガラガラ、嬉しいようなちょっと残念なような。ノーマン・ロックウェル(1894~1978)、雑誌「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙を47年間も毎週のように描き続け、アメリカの日常生活にあふれるユーモラスな情景を描きとめた、アメリカで最も有名な画家の一人です。実際に彼の絵を見るのははじめてですが、一目で虜になってしまいました。的確な描写力、画面にあふれるドラマ性、それを演出するバイプレーヤーや小道具の数々、そして何よりも市井の人々への深い愛情。絵に描かれたドラマを読み取るために、鵜の目鷹の目で一枚一枚じっくり眺めてしまいました。キャンプから帰って来た少年を迎え嬉しそうな両親、彼の指にはしっかりと絆創膏がはってあります。戦地から帰還したG.I.を迎える家族や近所の人々、壁の陰には彼の恋人が緊張した面持ちで隠れています。あれ、家出をした幼い子供と、彼を保護した警察官が食堂のカウンター席に座り、店の主人もまじえてなにやら語り合っている有名な絵(「家出」)がありますが…今、購入した図版を見ていると、彼らが座っている椅子に店の入口が映っています。ああもっとよく見ておくべきであった、ここにもロックウェルは何か仕掛けたのかもしれません。他にも、見ているだけで心温まるような絵がてんこ盛り。少女にキンポウゲをあげている少年、イヌに風邪薬を与える子供、野球選手からサインをもらう少年、お気に入りの絵の額にニスを塗る初老のご婦人、理髪店の奥の部屋で室内楽の練習をしているご老人たち。ロックウェル=古き佳きアメリカというイメージが先行しがちですが、別にこれはアメリカに限った情景ではないと思います。この世で一番大切なのは、普通の人々、とりわけ子供と老人が幸せに暮らしていけるということ、そしてアメリカはそれを実現できる国のはずだ、というのがロックウェルのメッセージではないでしょうか。 心に残った絵は二枚です。まずは第二次世界大戦中、彼が国家に貢献するために描いた「四つの自由」の中の一枚、「言論の自由」(1943)。アメリカという国の素晴らしさをPRするという意図でしょう。町民会でしょうか、労働者風の人物が何やら発言をしています。それを見つめる周囲の人々の訝しげな、冷たい視線、中には完全に無視している人もいます。彼は、緊張しているのでしょうか前の椅子の背を固く握りしめながら、しかし誇らしげに語りつづけます。見ているだけで勇気と力がわいてくるような絵です。もう一枚は、実はこの絵が一番見たかったのですが、「アメリカ国民の宿題 The Problem we All Live with」(1963)です。登場人物は五人、灰色の壁に沿って、腕章をした屈強な男性が二人ずつ並んで歩き、彼らに守られるように黒人の少女が歩いていきます。その壁にはトマトがぶつけられた跡が残り、潰れたトマトが下に落ちています。この絵を理解するには、時代背景を知る必要がありますね。1954年、最高裁において公立学校における人種隔離は憲法違反であるというブラウン判決が出されます。しかし黒人への差別はなくならず、1957年には、アーカンソー州リトルロックで、高校校内に入ろうとする黒人生徒・保護者を、地元の白人たちが罵声とともに阻止するという事件が起こりました。なお州兵を動員してまで黒人生徒の入校を阻止しようとしたのがフォーバス知事、チャールズ・ミンガスが彼の愚かさを痛烈に笑い飛ばした「フォーバス知事の寓話」という曲をつくり、「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」というアルバムにおさめています。そう、これは、公立小学校に入校しようとする黒人少女、それを警護する四人、そして嫌がらせのため誰かがぶつけたトマトが描かれている絵です。図版等では見たことがあるのですが、やはり実物の迫真力には圧倒されました。壁に「NIGGER」「K.K.K.(クー・クラックス・クラン)」といういたずら書きがあるのもはじめて気づいた次第です。そして四人の屈強な白人男性の顔は画面の上で切り取られ、どんな表情をしているのかわかりません。また、(おそらく)罵声や怒号をあびせながら、少女をとりまく人々の姿も全く描かれていません。それだけに一層、差別をする側がどんな表情をしているのか、どんな言葉を浴びせたのか、想像をかきたてられます。そうした騒然とした状況の中で、少女は一人歩み続けます。すこし前の二人組に近いところにいるのは、投げつられたトマトを機敏に避けたためでしょうか。彼女は右の拳を力強く握り締め、きっと前方を見詰めながら毅然とした表情で歩いていきます。画面に描かれていないだけに想像をかきたてられる差別する側の醜悪と下劣、それを象徴する潰れたトマト、そして不屈の意思とともに歩み続ける少女の高貴さと逞しさ。見事な画面構成ですね、時を忘れてしばらく見続けてしまいました。ロックウェルが単なるアメリカ賛美の画家ではないという証左になる素晴らしい絵ですね。そして彼が投げつけてくれたThe Problem we All Live withというメッセージを、われわれは今でもしかと受け止めなければならないでしょう。なお、ウィキペディアで彼のことを調べれば、この絵を見ることができます。 民衆の幸福を希求し、差別に対して静かに怒るロックウェルの作品をまとめて見られて大満足でした。なおそれぞれの絵の横には、ロックウェルの絵に描かれたような光景を、今のアメリカで写しつづけている報道写真家ケヴィン・リヴォーリによる写真が並べて展示してあります。
by sabasaba13
| 2010-05-31 06:26
| 美術
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Comments(2)
ロックウェルで検索したらたどり着きました。
私も近々行く予定なので今からワクワクしています。 ノーマンロックウェルの美術展は初めて足を運ぶ予定ですが、奥深い彼の作品は、実物を見たら感動してしまいそうです! 行く前にこの日記を読めて良かったと思います。 いきなりすみませんでした…; それでは失礼しますm(_ _)m
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こんばんは、サヤさん。多少なりともお役に立てて嬉しく思います。実は「美の巨人たち」で紹介されていた絵も見たかったのですが、残念ながら展示されていませんでした。ある郊外の住宅地に引っ越ししてきた黒人の兄妹。その二人と向かい合う地元の白人少年たち。もじもじしながら無言で対峙しているようですが、それぞれ後ろに野球用具を持っています。ああ、友だちになりたいんだなあ。差別への怒りと、人間への信頼を併せ持った素晴らしい画家だと思います。
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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