会津・喜多方編(19):飯盛山(09.8)

 ん? 右手に異なものがあるぞ。まずは十字章とドイツ語が刻まれたフォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑。解説には『昭和10年6月ドイツ国(現ドイツ連邦共和国)大使館Hasso Von Etzdorf氏が白虎隊精神を賛美して贈られた碑文と十字章である。碑文訳「会津の若き少年武士に贈る」 第2次大戦後アメリカ進駐軍の手によって碑面を削り撤去されたものを昭和28年再刻のうえ復元されたものである。』とあります。もう一つは大きな鷲を乗せた大きな石柱で、解説には『ローマ市寄贈の碑 白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は昭和3年ローマ市民の名をもって、この碑が贈られた。この碑の円柱は赤花崗で、ベスビアス火山の噴火で埋没した、ポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱である。基石表面にイタリー語で「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんが為、古代ローマの権威を表わすファシスタ党章の鉞を飾り永遠偉大の証たる千年の古柱を贈る」 裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが第2次大戦後占領軍の命により削りとられた。』とあります。
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 ナチスが政権を獲得したのが、たしか1933(昭和8)年ですから、エッツドルフが党員であったかどうかはわかりませんが、親ナチス的立場の人物であったことはほぼ間違いないでしょう。なおグーグルで検索しましたが、彼がどういう人物であったかは確認できませんでした。またムッソリーニとファシスト党が政権をとったのは1922(大正11)年、碑文に"ファシスタ党"とあるので、こちらはムッソリーニから贈られた可能性が高いと思います。いずれにせよ、ファシズム運動に関わった人たちが「白虎隊精神」とやらを賛美したということですね。主君や国家といった存在を己の上位に位置づけ、そのために命を捧げる精神… これは権力者にとって大変都合の良い精神ですね。この二つの碑を撤去しないという決定を誰がしたのかは知りませんが、「白虎隊精神」がファシズムを支える危険性を否定しないということだと思います。このエッツドルフ氏を介して、昨日思いを馳せたアウシュヴィッツと白虎隊がスパークしました。共通するのは「命の軽視」ということでしょうか。思いがけないものが出会って火花を散らす、だから旅は面白い。
 そして奥にあるのが白虎隊十九士の墓、多くの観光客がガイドの説明を聞いたり、墓前に花を捧げたりしていました。驚いたのは、若いカップルが神妙な顔をして香を捧げて一心に合掌していた光景です。白虎隊にしろ神風特攻隊にしろ、将来のある若者が大義のために命を賭したという悲劇的な事件に涙するということは、理解はできます。しかし同世代の若者たちが、その「大義」の中身をよく考えず、ただその非業の死だけに目を向け惹きこまれるのには疑問を感じます。大いなる存在の一部と化して、日常的な閉塞感や将来への絶望から逃げ出したいということなのかもしれません。こうした歴史が繰り返されないよう、切に願います。
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 そしてここから山ぞいにすこし歩いたところに自刃の地があります。会津若松市内を一望できる場所で、こんもりとした木立の中に鶴ヶ城の天守閣も見えました。白虎隊の若者たちは、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を、鶴ヶ城が落城したものと誤認し、自刃したのですね。
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 そして石段を下り、途中の分かれ道を右手にすこし歩くとさざえ堂(旧正宗寺三匝堂)があります。堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は一度も対向する他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内西国三十三観音を参ることができるという世界的にも珍しい建物です。ごつごつとした外観からさざえ堂と呼ばれるようになりました。さっそく拝観料を払って、上り下り。それにしてもこんな複雑な建物をつくった大工の技には驚嘆します。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-06-02 06:29 | 東北 | Comments(0)
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