会津・喜多方編(20):飯盛山(09.8)

 その近くにあった石垣には「奉納 石垣一〇平方米 エーリッヒの妻 ニーナ・ハイゼ 昭和六十年七月 西独ミュンヘン」というプレートがはめこまれていました。今、インターネットで調べてみたところ、彼女の父は『日本人の忠誠心と信仰』(草思社)という著書のある元東京高等商業学校(現在の一ツ橋大学)教授リヒャルト・ハイゼで、白虎隊悲話に感動し、飯盛山に埋葬するよう希望したそうです。彼の墓のとなりには、息子でニベア花王副社長だったというエーリッヒとその妻ニーナの墓があるとのこと、おそらく彼女が父のために奉納したのでしょう。そして「天高しピサの斜塔とさざえ堂」という成瀬櫻桃子氏の何とも句意をつかみかねるぶっとんだ句碑がありました。
c0051620_6274394.jpg

 そしてそのすぐ近くにあるのが戸ノ口洞穴、天保期に灌漑のためにつくられた長さ150mのトンネルです。昨日訪れた戸ノ口原での戦いに敗れた白虎隊隊士たちが、城の安否を確かめるために通り抜けた洞穴がこれです。そしてすこし歩くと白虎隊記念館に到着、後学のため見物することにしましょう。
c0051620_6281115.jpg

 入口には「高速道路使用者は2割引です。(個人のみ) 自己申告」という貼り紙がありました。何故なんだろう??? 中の展示はあまりにも雑然とした見づらいもので、ざーっと流して拝見しました。二階には「親日家米人ウォーナー 奈良、京都、鎌倉と会津の戦火を救う」というコーナーがあり、会津若松が空襲にあわなかったのは彼のおかげであると称揚していました。これについては以前にも書きましたが、アメリカの美術学者であるランドン・ウォーナーが重要文化財の多い京都・奈良・鎌倉を爆撃しないよう大統領に進言したという伝説は、どうやら敗戦後のアメリカ占領時代に、日本人の反米感情をなだめるためにGHQがでっちあげたプロパガンダだったようです。
c0051620_6284264.jpg

 館の前には白虎隊士二人の銅像と、「戸ノ口原の生存白虎隊士二十二人の一人酒井峰治が、鶴ヶ城に入城するため一人山間を退却中愛犬クマが飯盛山の裏手に出迎えた時の銅像」というディープな銅像があります。
c0051620_6291139.jpg

 その近くには「あいづっこ宣言」。「一、人をいたわります 二、ありがとうごめんなさいを言います 三、がまんをします 四、卑怯なふるまいをしません 五、会津を誇り年上を敬います 六、夢に向かってがんばります やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」 会津若松の小学校では、毎日子どもたちにこれを復唱させているのでしょうか。やってはならぬことと、やらねばならぬことを決めるのは年上であるぞよ、ととれそうな文章ですね、ちょっと怖い。私だったら、七、人にだまされない力を身につけます、と付け加えたい。さてここからふたたび自転車にまたがり、飯盛山通り(いにしえ夢街道)を東山温泉方面へと走ります。おっ白虎隊士と近藤勇の顔はめ看板を発見、忘れたころにひょういと姿を現すういやつです。
c0051620_6294068.jpg

by sabasaba13 | 2010-06-03 06:30 | 東北 | Comments(0)
<< 会津・喜多方編(21):東山温... 会津・喜多方編(19):飯盛山... >>