会津・喜多方編(28):一ノ戸川橋梁(09.8)

 朝、目覚めると曇り空、雨の心配はなさそうです。チェックアウトをして会津若松駅に行き、6:55発の磐越西線(森と水とロマンの鉄道)新津行きの列車に乗り込みました。まずは喜多方の一つ先にある山都駅まで行って、磐越西線の一ノ戸川橋梁を見ることにしました。到着時刻は7:32、喜多方方面へ戻る列車は8:12発ですので、与えられた時間は約四十分。駅から歩いて十数分ということなので、何とかなるでしょう。なお山都駅は有人駅ですので、困ったことがあれば駅員さんが(たぶん)相談に乗ってくれると思います。駅前に出ると、タクシーが一台客待ちをしていました。ちょっと迷いましたが、余裕があるにこしたことはないので利用することにしましょう。数分で鉄橋の下の河原に到着、いやあこれは絵になる鉄橋ですねえ。立派な石組みの上に、オレンジ色に塗装されたトラス桁が威風堂々と鎮座しています。
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 この橋の由来について「日本近代化遺産を歩く」(財団法人日本ナショナルトラスト JTBキャンブックス)から引用しましょう。
 東京と新潟を結ぶ信越線(1898年開通)はアプト式急勾配鉄道の碓氷峠区間がネックとなって、輸送力は常に不足の状況にあった。郡山~会津若松~喜多方~新津~新潟を結ぶ磐越西線が第二のルートとして、1914(大正3)年に開通。なお本命の上越線は1931(昭和6)年に開通。喜多方~新津間のルートは阿賀野川とその支流をいくつも渡るため、橋梁群がつくられた。初代の桁がそのまま使用されているのは、一ノ戸川、阿賀野川釜ノ脇、長谷川、蟹沢、阿賀野川徳沢、沢尻の六橋である。明治後期のアメリカ形ピン結合トラス桁(細長い部材を三角形に組む)が集まるサンクチュアリ的な線区。一ノ戸川橋梁は、最長のもので、切石積みの橋脚上にプレートガーターが15連と支間62.4mの上路トラス一連が架かっている。全長は445m、高さは17m。(p.30~32)
 鉄道マニアには垂涎でしょうね。なお磐越西線は休日にSLを走らせているので、この橋を渡る蒸気機関車を撮影するために多くの人が訪れるそうです。わかるわかる、もくもくと煙を吐きながらがっしゅがっしゅとこの鉄橋を走り抜けるSLを想像すると居ても立ってもいられなくなるでしょう。いくつかのポイントで車を停めてもらい、橋梁を撮影。それでは山都駅へ戻りましょう。列車の到着まで時間がまだあるので、ほんのすこし町を徘徊。見事な石作りの民家を発見しました。薄日と木々の緑を映す一ノ戸川を撮影し、駅へ戻りました。駅の脇には「財団法人修養団創立者蓮沼門三先生生誕の地」と記された木柱と、子を抱いた女性の像がありました。この方のことは寡聞にして知りませんでしたが、後ほど判明することになります。そのそばには煉瓦造りの古い小さな倉庫があります。時々見かけるのですが、何のための倉庫なのだろう? とりあえず写真撮影。
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 これは帰宅後に読んだ「ニッポン鉄道遺産 列車に栓抜きがあった頃」(斉木実 米屋浩二 交通新聞社新書004)でわかりました。以下、引用します。
 当初はランプ小屋、あるいはランプ部屋(または油庫)と呼ばれていたのだ。当時、駅の灯りはもちろん、信号機、車両の前照灯や標識灯、客車の車内灯などは油灯が主流であり、それら灯具や燃料を収納するためにランプ小屋は存在した。毎日夕暮れになると、現在の我々が電気を灯すように油灯が点けられていく。客車が所定の駅に停車すると、駅夫はランプ小屋から取り出した油灯を手押し車で運び、客車の屋根を渡り歩き、各車両の天井に設けられた差し入れ口の蓋を開いて、火の点いた油灯を差し込んだという。現在からは想像もつかないが、こんな光景が駅では毎日見られたのである。(p.239)
 へーそうだったのかあ。"知る"ってことは面白いですね、これからあの建物を見るたびに、客車の屋根を渡り歩く駅員の姿が彷彿とするでしょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-06-12 06:29 | 東北 | Comments(0)
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