五島・対馬・壱岐編(12):頭ヶ島教会(09.9)

 外へ出ると、店の前には塩作りの守護神、塩ノ目恵美須が鎮座していました。そしてタクシーに乗り込み、頭ヶ島へと向かいます。
c0051620_9373291.jpg

 途中で立ち寄ったのが海童神社、なんと1973(昭和48)年に捕獲された体長18.2mのナガスクジラの顎の骨でできた鳥居があります。捕鯨で栄えたこの有川地区を象徴する神社ですね。後ろを振り返るとかつて鯨を見張っていた鯨見山、見張り役が鯨を発見するとふもとにある納屋場に合図を送ると、男たちが勇壮に荒海に漕ぎ出していったそうです。
c0051620_938093.jpg

 そして有川湾に沿って東へと進み、中通島と頭ヶ島を結ぶ頭ヶ島大橋を渡ると、集落はおろか人の気配すらない山道をしばらく走ります。昔は船で行き来をしていたのでしょうね。この島には上五島空港があったそうですが、今はほとんど使用されていないとのことです。しばらくすると狭い平地に肩を寄せ合うように佇む集落と教会が見えてきました。羊腸の山道をおりると頭ヶ島教会に到着です。海童神社からここまで二十分ほどでした。ここ頭ヶ島は幕末期までは無人島で、鯛ノ浦のキリシタンが迫害を逃れて1859(安政6)年頃に移り住んだそうです。1868(明治元)年、時の代官松園嘉平が弾圧に乗りだし、十数人の戸主全員を縛り上げて有川の牢に入れ、三ケ月に及ぶ過酷な拷問が行われました。遂に耐えかねて改心の申し出をしたが役人は男たちを放免せず、今度は頭ケ島に移して、残された婦女もろとも全員を捕らえて長屋に幽閉してしまいました。ここに至り信者たちは役人の手薄を見計らい、船を使って全員が島を脱出してしまったそうです。キリスト教解禁後、島民は再び島に戻りはじめ、資金難に苦しみながらも7 年の歳月をかけて1917(大正6)年に完成させたのがこの頭ヶ島教会です。建設を指導したのは大崎八重神父で、付近に産出する砂岩を利用した石造教会堂の設計を、気心の知れた鉄川与助に依頼しました。当時の信者は四十数戸であったが、対岸の友住の山からの石の切り出しや運搬等、献身的な奉仕がなされ、さらに金銭的な負担を行うなどまさに全財産をなげうっての造営事業だったそうです。
 といった事前に仕入れた知識を思い浮かべながら、しばし教会を見つめていました。失礼ですがこのような僻陬の地に、まるで大地から生え出たような石造りの見事な教会。凛とし、毅然とした佇まいながらも、どことなく温かみを感じるのは、そうした信者たちの熱く固い思いによってつくりあげられたからでしょうか。信仰が公認されたことへのあふれるような歓びをもって、信者自らが切り出し運び積み上げた石でできた教会。荘厳さすら感じます。外壁の石にたどたどしく数字が刻んであるのはその名残りなのでしょう。中に入ると、外観とは印象が一変します。(たぶん)日本では珍しい折り上げ天井が柔らかな雰囲気を醸し出し、随所にちりばめられた花の意匠とあいまって、得も言われぬチャーミングな空間となっています。典礼当番表や掃除当番表、「ごミサ願い」の封筒などが、信仰が生き生きと継がれていることを物語っていました。なお隣にある司祭館も石造りでベランダを配するなど貴重な物件なので、お見逃しなく。
c0051620_9382970.jpg

 すぐ前の海岸には、十字架が林立するキリシタン墓地。この島の歴史を無言で見つめ続けてきたのでしょう。名残りは尽きませぬが出発、次の目的地鯛ノ浦へ向かいましょう。
c0051620_9385413.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_9391824.jpg

c0051620_939415.jpg

c0051620_940375.jpg

by sabasaba13 | 2010-07-18 09:40 | 九州 | Comments(0)
<< 五島・対馬・壱岐編(13):旧... 五島・対馬・壱岐編(11):青... >>