それではまず江戸時代の面影を残すという浜町小路・十王小路・大町通りに囲まれた路地裏を彷徨ってみますか。すたすた。なるほど、小さなお堂に鎮座するお地蔵さまをよく街角で見かけます。手作りのものが多く、涎掛けには子どもの名前と年齢が書かれていました。七歳になる前に死んだ子どもを地蔵菩薩がみちびいてくれるという民間信仰は聞いたことがありますが、どうやら生死にかかわらず子どもの守り神として信仰されているようです。地蔵盆も行われているのかもしれません。
もう一つ、よく目にするのが石垣や煉瓦の塀です。防火のためでしょうが、その中でも町割りの線に沿い家と家の間に設けられた、類焼を防ぐために高く築かれた石積みの防火壁「火切」には眼を瞠りました。中でも天保十五年という刻銘のある今屋敷の防火壁の石組みはみごとな職人芸です。その解説によると、昔は江戸市中にもこうした火切があったそうですが跡形もなく消滅し、日本中で残っているのは厳原だけだそうです。火除地・広小路といった防火対策が行われていたのは知っていましたが、火切は初耳。機会を見つけて調べてみましょう。なお飛騨高山や
飛騨古川では、隣家との境となる側面に延焼除けのための「火垣」を設けてある家を見かけましたが、そちらは個人的な措置のようだし、塗壁だし、「火切」とはちょっと違うようです。こうした渋い石壁・石垣や煉瓦塀があちらこちらにあるのはなかなかいい風情で、見飽きることがありません。ある程度整備すれば観光資源になるのではないかな、と思います。
浜町小路・十王小路・大町通りに囲まれた路地裏は、まるでメロンの皴のよう。古い民家・商家はほとんど残っていませんが、ゆるやかに湾曲し見通しのわるい小路と、火切・石垣・煉瓦塀がいい味を出しています。
大町通りには「世の中で一番みじめな人は平気で嘘を言い通す人である」と堂々と看板に掲げるお店がありました。その前をてこてこと歩いていく仔猫に遭遇。
堀のそばに佇む江口醤油は昔懐かしいレトロな雰囲気、「ここは厳原」というぶっきらぼうなホーロー看板が郷愁をそそります。
となりの村瀬家土蔵には竜虎の鏝絵がありますが、近くに寄って鑑賞できないのが残念でした。遠目だと竜をとりまく雲が蜂の巣に見えてしまいます。
中世からの船だまり跡である中矢来にあるのが、漂民屋跡。日本の沿岸に漂着した朝鮮人漂流民を丁寧に介抱し、宿泊させ、本国へ無事に送還するための拠点施設がかつてこのあたりにあったそうです。朝鮮出兵により国交が断絶した時期にも、人道的立場から継続され、その後の国交を回復させる要因にもなったとのこと。相手国の人命を尊重し困難を助けることが、善隣関係を育むためにいかに資するかを示す好例です。やはり自衛隊を
国際救助隊「雷鳥」に全面的に改組するべきだと、意を強くしました。そして三心円アーチが珍しい佐野屋橋を見物。ここの通りにはかつて和泉・佐野の海産物問屋があったので、こう名づけられたとのことです。
本日の五枚です。