五島・対馬・壱岐編(22):厳原(09.9)

 カーテンを開けるとお天道が微笑んでおられます、やれやれやっと好天に恵まれそうだ。ホテルで朝食をとりながら、タブロイド版の「対馬新聞」を拝読。その地が抱えるさまざまな問題点がうかがわれるので、こうした地方紙を読むのは大好きです。一面には、長崎県総合計画策定に向けての対馬代表十六人によるスピーチが載せられていました。「対馬の人は海に囲まれながら、魚が安く手に入らない。漁で魚種・規格外(約三分の一)の魚は捨てるか餌に回している。これをうまく活用する魚食の普及が必要」「対馬市の男女共同参画計画のダイジェスト版が、昨年各家庭に配布されているが、これが全然いかされていない。良きにしろ悪しきにしろ習慣・慣習が残っている。女性の能力が活かされていない」「イノシシ問題は、子ども達の登下校にまで支障をきたすところまできている。平成の陶山訥庵的事業が望まれる」「経済が縮小、試算ではGDPが1300億から1000億に衰退している。原因は公共工事、真珠、林業漁業、人口減等様々、商工業は需要が減っているところに大型店が参入、5年10年後不安な状態。島が生き残るにはバランスをとることが必要」 島が生き残る… もう事態はそこまで進んでいるのですね。また「県工事入札・市工事入札」についての記事が載っているのも、公共工事に頼らざるをえない状況をうかがわせます。さてどうやってバランスをとればいいのか。hospitality を充実させ、観光に力を入れるというのは、重要な選択肢の一つだと思います。
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 それでは腹ごなしに厳原の街をすこし散策しましょう。ホテルの前、川端通りを流れる川が厳原本川です。宮本常一が1974年8月24日に対馬を離れるときに、「厳原の町の中を流れる川の水がいつまでも澄んでいる間は、島の人も文化も健全であるだろうと思う」というメッセージを残したそうですが、うーむ、ちょっと溜息をついてしまいます。
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 パチンコ屋の前には「対馬宗藩十万石 与良郷宿跡(八郷の一)」という記念碑がありました。「宮本常一の足跡」によると、江戸時代、対馬は八郷に区分され、それぞれの郷が厳原に専用の宿を設けていたそうです。これが郷宿、郷中の者が公用などで厳原に来た時のための専用の宿舎です。これが明治以降も残りますが、①本土行きの連絡船に乗るための待機、②宿賃が普通の宿の半額以下、③すべて合部屋、④食事も一緒、⑤宿泊者は同じ地区の人、⑥泥棒がいない、といった理由があったそうです。民宿の元祖ですね。残念ながら、すべて消えてしまいました。
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 子どもたちが元気に登校している姿は、希望を感じさせる光景ですね。彼らの多くがこの島で暮らしたいと思うようになること、それが可能となる条件を整えることが、生き残りの鍵となるのではないかな。江崎泰平堂は「かすまき」という、カステラによく似たガワで餡を巻いたお菓子を売っているお店。藩主が参勤交代での帰国に際し、その喜びを家中一同で分かつために考案されたものだそうです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-08-05 06:23 | 九州 | Comments(0)
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