五島・対馬・壱岐編(25):豆酘崎(09.9)

 そして豆酘(つつ)の町並みを抜けて、豆酘崎へ。駐車場に車を停めて、運転手さんに案内されて遊歩道をすこし歩くと、断崖にある展望台に到着。朝鮮海峡を一望できる雄大な光景にしばし見とれました。点々と海面に連なる岩礁と、沖合いに敷設された灯台(1909年建設、現在は使用されていないもよう)が、この海路の危険さを物語っています。なおこの浅瀬をミョー瀬というそうです。岬をぐるりとまわるように遊歩道を歩いていくと、弾薬庫など砲台関連の施設が一部残っているのがわかります。眼下はるか遠くの汀にある白いものは、漂着物だそうです。そして石段をのぼり1987(昭和62)年に建て替えられた豆酘埼灯台を見学。ここからの眺めは木々にさえぎられてよくありません。
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 そしてタクシーに乗り込み豆酘の町なかへと入ります。ここで案内された永泉寺には、異形の像を彫った碑がありました。まるで神父のようにも見えるので、隠れキリシタン関係の物件かもしれません。
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 その先にあるのが多久頭魂(たくづだま)神社で、国指定重要文化財の古い梵鐘を拝見。なおこの神社は、社のない磐座(いわくら)の祭壇で有名ですが、時間の関係でそこまで行くのは省略しました。
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 その近くには、赤米神田がありました。赤米神事で神体となる古代米の赤米がたわわに実り風に揺らいでいました。ここ豆酘は稲作伝来の地ともいわれ、千数百年前からこの赤米の耕作が続いているそうです。そして19世紀中頃に建てられ、対馬地方を代表する農家の間取りをもつ主藤家住宅の外観を拝見。今でも現役の住宅として使用されているので、内部の見学はできません。
 タクシーですこし走ると、山際に質朴で小さな雷神社がありました。運転手さんによると、亀卜(きぼく)、つまり亀の甲を焼いてそのひび割れの形から吉凶を占う古式の祭が今でも行われているそうです。そして美女塚へ。昔、鶴王という絶世の美女が采女として都に召し出されることになりましたが、老母を残しての旅立ちに心を痛め、このあたりで「美人に生まれたが故に、こんな悲しい思いをして死なねばならない。どうか、いまから、豆酘には美人が生まれないようにお願いします」と言って自害をしたそうです。また殿様や武士がこの村の美しい娘に目をつけないように、わざとパッチワーク風の粗末な労働着、ハギトウジンを着ていたとのこと。宮本常一は、このハギトウジンを着た娘たちが小さな対州馬に乗っていく姿を可憐であったと記しています。
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 そして対馬下島の西側を北上、椎根へと向かいます。あいかわらず見通しのわるい山道をタクシーは猛スピードで疾駆していきます。運転手さん曰く「今日の行程がタイトなので飛ばしているけれど、いつもは安全運転ですよ」。わかってますわかってます、ほんとに無理を言って申し訳ない。でも抜群にうまいコーナーリング技術のため安心して乗っていられました、さすがはベテランドライバーの技です。

 本日の二枚、豆酘崎と豆酘の町遠望です。
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by sabasaba13 | 2010-08-09 08:27 | 九州 | Comments(0)
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