五島・対馬・壱岐編(26):椎根(09.9)

 三十分ほどで椎根に到着、このあたりには石屋根倉庫がたくさんあります。冬季の強い北西季節風や雨露から大切な食糧や家財道具を守るために、島内で産する板石で屋根を葺くという、この地が育んだ生活の知恵なのですね。「対州名物トンビにカラス、屋根に石」という言葉もあるそうです。湿気を防ぐためでしょう、高床になっています。また火事による延焼を防ぐために母屋から離れたところに石屋根倉庫がかたまって建てられているのが、独特の景観をなしていました。運転手さんによると、かつては対馬全域で見られたそうです。なお「宮本常一の足跡」によると、こうした倉庫のカギをもって管理するのは姑の役目であり、家族の者でも許可なしには開けられないそうです。このカギを持つことは「主婦権」をもつということであり、家事一般を仕切るということです。カギの授受は嫁が四十歳ぐらいになると行われ、やっと主婦権が譲られるといいます。ぼやっとしている嫁はいつまでもカギをもらえないとか。
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 ここから数分で小茂田浜神社に到着です。このあたりは佐須浦といい、元寇の戦場となったところです。1274(文永11)年、三万余の蒙古軍がここに上陸、守護代宗助国らは果敢に戦いますが戦没。彼らを祀っているのがこの小茂田浜神社です。
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 なおこの小茂田では、隠された公害があったことを「宮本常一の足跡」で知りました。東邦亜鉛対州鉱業所によるカドミウム汚染で、1973(昭和48)年に閉山した後、その実態や会社ぐるみによる隠蔽工作の全容が判明したそうです。小茂田のライスセンターの敷地内には、汚染された水田をもとに戻すための土地改良事業に関する「土地改良記念之碑」と、亡くなった後に調査のために解剖された方々を悼む「追悼の碑」がありました。
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 五分ほど走ると、法清寺の境内に、元寇で討死にした宗助国の胴体を葬ったという「お胴塚」がありました。なおお堂の中には、良好な保存状態ではないものの、平安時代の木彫仏像十五躯が残されています。一ヵ所にこれだけ多くの平安仏があるのは九州でも珍しいそうです。なお蒙古仏という伝説もあったようですが、学術調査の結果、間違いであることが判明しました。
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 さてそろそろお腹と背中がくっつきそうになってきました。運転手さんの紹介で、すぐ近くにある「そば工房」という店で、ご当地B級グルメ、対州(たいしゅう)そばをいただくことにしましょう。品書きを眺めながらお薦めの一品を訊くと、彼曰く「いりやきそば」。さっそく二人で注文、地鶏と野菜が盛り付けられた、けんちん汁のようなお蕎麦、質朴な味を満喫しました。なお、対馬在来のソバはネパールのソバと類似して原種に近いとされ、小粒で風味とコシが強いのが特徴。ソバは、縄文時代後期に、中国大陸から朝鮮半島、対馬を経由して日本に広がったと伝えられ、対馬のソバは日本のソバのルーツといわれるそうです。蕎麦っ食いの一人として、対馬に敬意を表しましょう。また対馬地鶏は、顎鬚をもつ不適な山賊顔だそうです、一目お会いしたかったなあ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-08-21 08:37 | 九州 | Comments(0)
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