五島・対馬・壱岐編(28):万関橋・浅茅湾(09.9)

 そして運転手さんの案内で、対馬事件に関係した「松村安五郎と吉野数之助の碑」がある大船越へ。1861(文久元)年、要衝の地・対馬を占拠しようとロシア軍が無断でこの地に上陸、それを阻止しようとした番所役人の松村安五郎は殺害され、吉野数之助はロシア艇に捕らえられた後にそれを恥辱として傷の手当を拒否して亡くなります。結局、イギリスの圧力もあってロシア軍は撤退することになります。このあたりは瀬戸が開削されていますが、かつてはもっとも陸地がくびれた部分で、船をかついで渡ったのだそうです。肉眼でもはっきりとわかるほど、うねるように潮が流れていました。
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 そして数分で万関橋へ。1900(明治33)年、軍事上の理由から海軍がこの万関地峡を開削し、鉄橋をかけたのがその嚆矢です。現在のは三代目、対馬におけるはじめての離島振興法事業だそうです。橋の中央でおろしてもらい写真を撮影。そして橋全体を眺められるポイントに連れていってもらいました。
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 さていよいよ後半戦、対馬上島の探訪です。時刻はすでに14:45、見どころをすべて廻れるかきわどくなってきましたが、運転手さんを信じるしかありません。数少ない日本在来馬の一種、小柄な対州馬と対馬鹿を飼っている「あそうベイパーク」に立ち寄り、すこし行くとまるで小雪が地面を覆ったかのように蕎麦の花が咲き誇っていました。
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 そして小船越へ、こちらも陸地のくびれたところでかつて船をかついで渡ったとのことです。また遣隋使や遣唐使もここで別の船に乗り換えたといわれています。鏡のような入り江に姿を映す木々の緑がきれいでした。
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 そして和多都美(わたづみ)神社に到着、万関橋からここまで三十分強かかりました。彦火火出見尊と豊玉姫命を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。二つの鳥居は海中にそびえ、潮の干満によりその様相を変えるそうです。ということは、昔は舟に乗って参拝に来たのでしょう。三角形に組んだ鳥居が囲んでいる神体は珍しいですね、京都の蚕の社を思い出しました。
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 ここから数分ほど山道をのぼると、烏帽子岳展望台に到着です。駐車場に車を留めて長い石段を歩いてのぼると、展望台がありました。ここからの眺めは絶景、「繊細さと屈曲度は日本一」と観光協会が持参するだけのことはありますね。複雑な海岸線と鏡のような海面、緑なす小島がぽこぽこと散在するみごとな景観です。さすがは日本有数のリアス式海岸・溺れ谷。
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 そして車に乗り込み十分ほど走ると、運転手さんが「無駄な公共事業の典型です」とぼそっと呟かれました。なになに、それは聞き捨てならない。指で示された方向を見ると、カルト宗教の神殿のような異形の物件が木々の上に見えます。豊玉町文化の郷の公会堂だそうです。せっかくなので近くまで寄ってもらいましたが、まるでダダイズムのような破調の造形に開いた口がふさがりません。彼曰く、設計は安藤忠雄… ほんとかなあ… 今、インターネットで調べてみたのですが判明しません。ご教示を乞います。
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 本日の七枚、上から大船越、万関橋からの眺望、万関橋、小船越、蕎麦の花、和多都美神社、烏帽子岳展望台です。
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by sabasaba13 | 2010-08-26 06:36 | 九州 | Comments(0)
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