五島・対馬・壱岐編(31):壱岐芦辺港(09.9)

 目覚めてカーテンをあけると、♪Here comes the sun♪、どうやら今日も好天のようです。本日は壱岐への移動日、朝食はとらずにチェックアウトをして、徒歩で厳原港へ向かいました。ターミナルビル内には、「不法就労外国人対策キャンペーン」だの、ハングルで書かれただのが貼られており、あらためてここが国境の町だということを思い知らされます。
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 そして7:55出航のジェットフォイル「ヴィーナス」に乗り込みました。
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 風もない静かな海を快調に疾走、途中で「クジラ、イルカなど…」という船内アナウンスが入ってので、おっ見られるのかと思わず期待してしまいました。しかしその後に「大型海中生物との衝突事故が頻発しております、シートベルトをして下さい」と続きました。そりゃかなわん、とシートベルトをしっかりと締めながらも、一抹の期待を込めて船窓から眼を皿のようにして海面を凝視しましたが遭遇はできず。そして予定通り、9:00に壱岐芦辺港に到着。
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 それではスーパーニッポニカ(小学館)に依拠しながら、壱岐を紹介しましょう。
 『魏志倭人伝』には一大(支)国として記載され、古くから朝鮮半島への通路にあたり、要地であったため一島一国を形成、壱州(いしゅう)ともよばれた。中世末は松浦党の支配下にあり、幕藩体制下では平戸藩に属した。全島玄武岩からなる低平な溶岩台地で、標高20~100メートルの間に数段になって広く分布し、その上に岳ノ辻(島の最高峰、213メートル)岳などの火山が噴出している。集落は在と浦とに分化し、在は台地上にある農業集落で、散村形態をとり、触(ふれ)とよばれる字名を有している。浦はリアス式海岸の湾奥部に位置する漁業集落で、集村形態をとり、芦辺浦、郷ノ浦、印通寺(いんどうじ)浦、湯野本浦、八幡浦、勝本浦、瀬戸浦、小崎浦の八つに限られ、壱岐八浦とよばれた。明治以後、都市的機能をもつ島の中心集落として発達したのは八浦のうちの芦辺、郷ノ浦、印通寺、勝本の四つで、湯野本浦は温泉集落となり、八幡、瀬戸、小崎が漁業の専業を続けている。
 ターミナルビルにある観光案内所でパンフレットや地図をもらい、午後に参加する観光バスの出発地、および今夜泊まるホテルのある郷ノ浦行きのバスの時刻表を確認。一時間半ほど時間があるので、芦辺周辺を散策することにしました。ビルの前にある騎馬像は壱岐守護代の少弐資時、蒙古襲来・弘安の役(1281)で奮戦し壮烈な最期を遂げた、弱冠十九歳の若武者です。ここ壱岐は蒙古襲来によって甚大なる被害を受けたことが、パンフレットなどによってわかりました。
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 漁港を歩いていると、ちょうどおかみさんたちがイカを干していました。
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 本日の一枚は、厳原港です。
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by sabasaba13 | 2010-08-29 08:35 | 九州 | Comments(0)
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