南東北錦秋編(8):山形七日町(09.10)

 さすがにへこたれて腹の虫のブーイングも激しさを増しますが、そう、こんな時に唄うのは♪悲しいこともあるだろさ苦しいこともあるだろさ だけど僕らは挫けない 泣くのは嫌だ笑っちゃお♪ こけつまろびつ「シネマ旭」に到着、交差点の角に立つ、コンクリート打ちっ放しの大きなビルです(竣工1955年)。無機的に壁面を穿つ多数の小さな窓と、屋上にある神殿風の小屋から、解説は表現主義的と評したのでしょう。さてそもそも表現主義とは何ぞや、私も曖昧な理解しかしておりませんので、この際スーパーニッポニカ(小学館)を参考にしてまとめておきましょう。第一次世界大戦の直前に始まり、その戦後しばらくして終わったところの、芸術各領域での運動。その全体にわたる統一的な理論や方向といったものはありませんでしたが、19世紀までの安定した近代社会がぐらつき始めたという一種の崩壊感覚、状況への疑惑と自我・存在の不安、それを直視せねばならぬとする熱意、という、大転換期においての鋭敏な知識人たちの焦燥感や苦悩が示されているとのことです。大胆な表現、またはフォルムの単純化や変形がその特徴のようです。わかったようなわからんような… なお「シネマ旭」は惜しまれつつも閉館となったとのことです。そして数分ほどで六日町教会に到着。1887(明治20)年に伝導活動を始めた市内で最も古いキリスト教会のひとつで、1914(大正3)年に現在地に移り、本会堂を建設したそうです。大小並んだ切妻屋根と塔屋のバランスがいいですね、愛らしく瀟洒な教会です。そのすぐ裏手にあるのが文翔館、1916(大正5)年竣工の旧県庁舎と旧議事堂です。いずれ劣らぬルネッサンス様式の堂々とした物件です。米沢市出身の建築家・中條精一郎を顧問に、田原新之助によって設計されたと考えられます。中條精一郎といえば、曽禰達蔵とともに曽禰中條建築事務所を主宰し、多くの建築作品を手がけた方ですね。代表作は、慶應義塾大学記念図書館や小笠原伯爵邸、そして長女が17歳で小説『貧しき人々の群』を著し天才少女と呼ばれた百合子、後の宮本百合子です。また安積疎水の開通に尽力した中条政恒は彼の父、この間、郡山に行って彼の存在を知っただけに不思議な縁を感じます。旅って面白いですね。
 それでは七日町仲通り商店街へと向かいましょう。途中で見かけた、アーチ窓がこれでもかこれでもかこれでもかと並ぶ商業ビルの怪しげでいいですね。「まつのや旗店」も元気で営業されています。ショーウィンドウに飾ってあったプレートのサンプル「農地の貸し借り相談所」が土地柄を物語っていますね。その先にあるビルには「ヤマイチクラブ」という胡散臭い看板がかかっており、中を覗くと、まるで心の闇へと誘うような細い通路が続いています。
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 そして「元祖山形冷しラーメン」という幟を発見、盲亀の浮木、優曇華の花、ここで会ったが百年目。歩き廻れば必ずいいことがあるもんですね、さっそく「栄屋本店」に入り冷しラーメンを注文。得も言われぬ豊潤な冷たいスープに、腰のあるもっちりした麺がよく合っています。ポスターによると、牛と鰹節、昆布をベースにラ・フランスの香りを加えたとか。牛とラ・フランス、いずれも山形産品ですね。ああ美味しかった。
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 追記。「徳川無声戦争日記(四)」(中公文庫)を読んでいたら、次のような一文がありました。「旭座超満員、放送内幕話絶対に受ケル(p.277)」 彼が1944(昭和19)年6月13日に、山形に慰問公演のために行った際の記述です。もちろん今のビルではないでしょうが。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2010-09-29 06:32 | 東北 | Comments(0)
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