南東北錦秋編(13):旧登米高等尋常小学校(09.10)

 ここでスーパーニッポニカ(小学館)と「小さな町小さな旅 東北・北海道」(山と渓谷社)に依拠して登米(とよま)を紹介しましょう。宮城県北東部、登米(とめ)郡にある町で、北上川が中央部を南流し、中心集落はその西岸に位置します。8世紀末の史料に陸奥国遠山村との記述があり、これが「とよま」に転訛したといわれます。宮城県北東部と岩手県南部を支配していた葛西氏は、1536 (天文5)年に石巻から本拠を寺池(登米)城に移しました。葛西氏滅亡後、豊臣秀吉の家臣木村氏が居城としましたが、葛西大崎一揆により落城。近世には、登米伊達氏二万一千石の城下町として、江戸から明治にかけては北上川の舟運の中継地で、米の集散地として栄えた町です。なお北上川は流域面積が全国五指に入る大河で、東北地方における経済の大動脈でした。また明治には登米県、水沢県の県庁が置かれました。旧県庁舎、登米尋常小学校(国の重要文化財)、旧警察署など明治期の建物が残されています。
 というわけでお目当ては、登米尋常小学校をはじめとする明治期の建築と、古くて渋い町並みです。まずは観光案内所「遠山之里」で地図をもらい、いちおう念のため柳津行きバスの発車時刻を確認しました。しかし本数が極端に少ないため使えません、ここでタクシーを呼ぶことにしましょう。外へ出ると、自転車でツーリングをしているグループの方々がいらっしゃいました。こういう旅をする方が増えれば、日本の観光もずいぶんと良い方向に変わるのではないかと思います。
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 近くには「奥の細道一宿の地」という記念碑がありました。そしてすぐ隣にある教育資料館(旧登米高等尋常小学校)へ。煉瓦づくりの門を抜けると、おおこれは素晴らしい、見事な校舎が静かに佇んでいます。1888(明治21)年に建てられた擬洋風建築で、設計は宮城県建築技師の山添喜三郎。子どもたちを抱きしめるように「コ」の字型につくられ、正面には洋風のバルコニー、そして一階二階ともに吹き抜けの片廊下が設置されています。
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 柱頭のイオニア式の飾りやバルコニー手すりなど、細部における西欧風の意匠も洒落ていますね。子どもたちに最善のものをプレゼントしようという、この地の人々の熱い思いがびしびしと伝わってきます。この校舎で学んだ思い出は、一生忘れることはないでしょう。
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 ただ、以前も書きましたが、幕末における地域秩序の崩壊という状況に対して道徳教育を通してその回復を図り、かつ近代における自由経済(弱肉強食)社会への適応とそのための訓練を徹底するという意図もあったことと思います。初代文部大臣の森有礼が「従順ナル気質ヲ開発スベキ教育ヲナスコトナリ。唯命是レ従フト云フ義ニシテ、此従順ノ教育ヲ施シテ之ヲ習慣トナサゞルベカラズ。/以上…ノ目的ヲ達セントスルニ就キテ其幇助トナルモノ…道具責(どうぐぜめ)ノ方法アリ」(1885)と言っていましたが、この校舎も壮大なる責め道具だったのかもしれません。一階の廊下には授業の開始・終了を告げる立派な半鐘がかけてありましたが、解説に「登米伊達藩鋳物師江田家第19代江田嘉茂左衛門」と鋳物師(いもじ)の名まで紹介されていたのには驚き。往時におけるその社会的地位の高さの証左でしょう。
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 各教室は登米における教育の歴史や教科書・教材などの展示室となっています。両翼には、六角形を半分に切ったような形の生徒用昇降口がありました。
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 そして二階に上がると校長室、そして畳敷きで床の間のある大きな裁縫室兼講堂がありました。どうやら奉安庫はなさそうです。
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 ある教室では、実物大人形による授業のジオラマ展示がされていました。教育内容についてはさておき、かつて、これほど教育にお金をかけた時代があったのだあと思い見上げると、二宮金次郎は素知らぬ顔で読書中。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-11 09:41 | 東北 | Comments(2)
Commented by Charlie Black at 2010-10-11 23:24 x
こんばんは。仙台市のCharlie Blackです。私も偶々登米市界隈をうろついていました。地元にいながら2回目の登米市巡りです。なかなか興味あるコメントが多く勉強になりました。鳴子経由でおいでになったのでしょうか。宮城県へのご訪問ありがとうございました。
Commented by sabasaba13 at 2010-10-13 18:48
 こんばんは、Charlie Blackさん。実は仕事の関係で、仙台に少々住んでいたことがあります。東京への追従が多少気になりましたが、human scaleでなかなか暮らしやすい街でした。飲み屋「明眸」やレストラン「メルシー」はまだ健在でしょうか。登米へは鳴子経由で訪れましたが、拙ブログでも紹介したとおり、ディープな街ですね。実はこの後、もっとディープな気仙沼にめぐりあえました。
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