「近代ヨーロッパの誕生」

 「近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスまで」(玉木俊明 講談社選書メチエ448)読了。なぜ世界はこんなふうになってしまったのか、これからどうなってしまうのか/どうすればよいのか、それについて考え続けていきたいと思っています。そのためには、「天地人」的な歴史(面白いけれども視野狭窄的)ではなく、長いスパンで一体として動いてきた世界を分析・叙述する歴史が必要でしょう。いわゆる「世界システム論」ですね。関連した書籍にはできうる限り目配せをしていますが、その中で出会ったのが本書です。タイトルの通り、オランダとイギリスの歴史を通して近代ヨーロッパの誕生を考察するという内容、ど素人にも理解できるよういろいろな配慮も行き届いた好著です。
 ウィキペディア的に定義しますと、世界システムとは、複数の文化体(帝国、都市国家、民族など)を含む広大な領域に展開する分業体制であり、周辺の経済的余剰を中心に移送する為の史的システムです。その中心となるヘゲモニー国家が、オランダ→イギリス→アメリカと変遷してきたというのがウォーラーステインの主張ですが、本書はその前二者についてとりあげたわけですね。その業績を踏まえたうえで、著者はいくつかの批判をされています。まず、世界システム論では、後進国が工業国に第一次産品を輸出し、モノカルチャー経済となり、そのために従属化するという発想であり、これは国内総生産に占める工業の比率が非常に低かった近世にはもちこめないという点。ヘゲモニー国家においては、工業・商業・金融業の順に勃興し、またこの順に衰退するという説については、金融の重要性を軽視しているのではないかという指摘。さらに世界経済の中核となるヘゲモニーがどういう形で移動するのかについての分析が焦点になっていない、という批判です。
 オランダのヘゲモニー確立に関する分析を紹介しましょう。16世紀後半以降ヨーロッパ全土で、食糧危機と船舶用資材としての森林資源の枯渇という二つの経済危機が起こります。イタリアの都市国家はこの危機にうまく対処できず、北大西洋諸国はそれができた、これがこの二地域の運命を分けたというのが著者の主張です。その鍵を握ったのが豊富な穀物と船舶用資材をもたらすバルト海貿易、そう、この貿易をオランダが握ったことが、オランダの台頭とイタリアの地盤沈下の大きな要因となったのですね。それに加えて、優れた造船技術(ex.積載量が多く、船体は軽いフライト船)や操船技術により、オランダ商人による輸送費がきわめて安かったことも重要です。以下、引用します。
 大切なのは販売地における商品価格であり、生産地におけるそれではない。輸送費の大小で、この点は簡単に逆転する。この事実に対して、これまでの歴史学・経済史学は、さほど注意を払ってこなかった。それは、重大な欠落であった。とりわけ近世のように輸送にさまざまな困難が生じやすい時代の輸送費の重要性について、軽視すべきではない。(p.34)

 ウォーラーステインは、「支配=従属」の関係を、工業国と第一次産品輸出国という観点からしかとらえていない。しかし商業資本主義=重商主義時代においては、原料輸出国が輸送を他国の手に握られていることそれ自体が「周辺」へと導くことがあると考えるべきだろう。(p.67)
 それに加えて、オランダの経済発展は、スペインからの独立戦争(1568~1648)の過程で成しとげられたということに注意すべきだと指摘されています。戦争遂行のために巨額の借金をし、平時にはそれを返済していくという金融システムを完成したことか(「金融革命」)。武器貿易商人がもたらす情報を、戦争における勝利のために活用したこと。またオランダ共和国は、宗教的には他国よりもはるかに寛容であり、ユダヤ人をはじめ様々な宗派の商人を引きつけたことも重要です。そのため同市には、多様な宗派の商業的ノウハウが蓄積され、おまけに分裂的な国制のため商人の活動を国家が管理するという意思がなかったため自由な商業活動が営まれました。そしてアムステルダムを中継地として、さまざまな商人が北方ヨーロッパに移動した結果、商業技術・商業ノウハウは同質化し商業活動は円滑に進み、取引費用が削減されることになりました。「ヨーロッパでは、各地に取引所ができ、商業情報が国境を越え、多くの人々に利用可能であった。このように、国境をまたいで、商品に関する情報が比較的容易に、しかも誰にでも利用可能な社会は、アジアにはなかったであろう。したがって経済発展を促進させる制度という面から考えるなら、ヨーロッパのほうが進んでいたと想定されるのである。(p.89)」という指摘は傾聴に値します。この時期のヨーロッパ経済がアジアを圧倒していたとはとても言えませんが、やがてそうなっていく秘密の一端がここにありそうです。
 そしてそのオランダに挑戦したのがイギリスです。オランダに追いつき追い越すために、イギリスは経済への介入を強め、中央集権化をすすめ、国家が商人や市場を保護し、公共財を提供します。同時に、オランダ人がイギリスに移住して商業技術やノウハウを伝え、イギリスの国債を購入して助力したことも注目すべきです。そしてイギリスは、奴隷が生産する綿花を新世界から輸入し、機械によって生産(産業革命)した綿製品を世界に輸出することで世界一の経済大国となり、ヘゲモニー国家へと成長していきます。氏は、この大西洋経済システムの構築により、ようやくヨーロッパ経済はアジア経済を上回る力をもつようになったと指摘されています。

 稚拙な紹介ですが、本書の魅力が少しでも伝えられたなら幸甚です。オランダが徳川幕府と関係を結ぶのが、ちょうどその全盛期にあたる17世紀。そのダイナミックな有り様を知ることは、日本史研究にも資すること大だと思います。「1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後に漂着した。当時、ヨーロッパでは16世紀後半にスペインから独立したオランダと毛織物工業の発達したイギリスが台頭し、両国は東インド会社を設立して、アジアへの進出をはかっていた」(詳説日本史p.171 山川出版社)といった、木で鼻をくくったような味気ない歴史叙述から卒業するためにもね。あえて妄想すると、この際日本史/世界史を一体化し原始~中世を思い切って簡略にして、「世界近現代史」という講座を高校の先生方に立ち上げてほしいですね。そうした斬新な試みを絶対に認めず学校のカリキュラムを統制する文部科学省がある限り、不可能でしょうが。日本における歴史教育の貧困さにため息が出てしまいます。sigh…
 なお後書きに洒落た一文があったので引用しておきます。
 御多分にもれず、毎日パソコンの前に長時間座っているため、私は身体のあちこちが凝る。そういうときに、マッサージをしてくれ、私の健康を維持してくれるマッサージ師の竹田由美子さんにも謝意を表したい。(p.212)

by sabasaba13 | 2010-10-21 05:46 | | Comments(0)
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