南東北錦秋編(26):厳美渓(09.10)

 バス停の近くにタクシー会社の営業所があったので、足の便については一安心。天工橋を渡って大きなお土産屋さんに入りコインロッカーの在り処を訊ねたところ、ないというつれないお返事。しかし預かってくれるというので、ご好意に甘えることにしました。渓谷を一望できる東屋におりると、これは絶景です。切り立つような数多の巨岩・奇岩と、そこを切り裂くように流れゆく清らかな急流。残念ながら曇天のため水や岩の色がくすんでおり、また紅葉も盛りを過ぎたようで、感銘はいまひとつでしたが。遊歩道を歩いて御覧場橋を渡り、対岸にある東屋からしばし渓谷美を楽しみました。
c0051620_740013.jpg

 なお春には伊達政宗が植えたという貞山桜(政宗の雅号より)が咲き乱れ、それはそれは素晴らしい眺めだそうです。再訪を期しましょう。そしてさきほどのお土産屋さんへ、荷物を引き取ろうとしたその時、内なる声が脳裡に鳴り響きました。「人の道を踏み外すな」「桃太郎侍に切られるぞ」「マルクス・アウレリウス・アントニヌスの言葉を思い出せ」 はい。軽くて安くて適当なお値段のお土産を物色した結果、わさび漬けを購入、丁重にお礼を言って荷物を引き取りました。そして電話でタクシーを呼んでもらい、すぐにやってきたタクシーに乗車。
 ここから十数分で平泉駅に到着です。今に雨か雪が降りそうな気配ですが、己の強運と山ノ神の愛を信じ、駅のすぐ隣で自転車を借りることにしました。係の方が良い方で、懇切丁寧に観光ルートを教授してくれた上に、荷物を預かってあげようと嬉しいオファーまでしてくれました。そしてサドルにまたがり、まずは平泉駅へ。
c0051620_7402348.jpg

 羹に懲りて膾を吹く、山形新幹線で懲りたので、大宮までの新幹線の指定席を押さえておきました。そして駅舎を撮影、「平泉駅」という字を揮毫したのは今東光氏なのですね。今調べたところ、彼は中尊寺の貫主を務めたことがあるそうです。近くには、ライオンズクラブが寄贈した、鏡とライオンのついた大仰な水飲み場がありました。
c0051620_7405290.jpg

 そしてここでもご当地ポストをゲット。しかし、この青銅でできた扇のようなものは一体何なのだ??? これは後で中尊寺を見物してわかったのですが、寺宝の金銅華鬘(こんどうけまん)でした。その歴史と重量の重さにつぶされそうな華奢なポストがちょっと可哀そう。それにしても、お金が投げ込まれているのは興味深い現象ですね。立派そうに見えるものに賽銭をあげて幸を期待するという民間信仰なのでしょうか。
c0051620_7412138.jpg

 さてそれではスーパーニッポニカ(小学館)に依拠して平泉を紹介しましょう。
 801(延暦20)年坂上田村麻呂の蝦夷征討以来、奥州鎮定の要所の一つとなった。その後安倍頼時がこの地方を領し、前九年・後三年の役後の1094(嘉保1)年、頼時の外孫藤原清衡が居館を豊田城から平泉に移し平泉館(たて)とよばれる政庁を構え、奥州・出羽の支配権を確立した。以後1189(文治5)年、源頼朝に滅ぼされるまで清衡、基衡、秀衡の3代100年にわたる平泉文化が花開くことになる。藤原氏滅亡後は鎌倉御家人の葛西氏らによる支配を経て、江戸時代は仙台藩伊達氏の所領となった。清衡は中尊寺を、基衡は毛越寺を、基衡の妻は観自在王院を、秀衡は無量光院を建立し、建物はほとんど焼失したが、現在も多くの史跡がある。
 本日の三枚です。
c0051620_7414882.jpg

c0051620_742133.jpg

c0051620_742409.jpg

by sabasaba13 | 2010-10-31 07:43 | 東北 | Comments(0)
<< 南東北錦秋編(27):高館義経... 南東北錦秋編(25):厳美渓へ... >>