京都錦秋編(3):東京駅(09.12)

 そして5番線(山手線)ホームへ上がると、1914(大正3)、年開業当時のホームの支柱がありました。コリント式の装飾をあしらった武骨だけれども重厚な逸品です。また線路脇には東海道線、中央、総武、東北線などの起点を示す0キロ標識(ゼロキロポスト)を見ることができます。
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 さてそれでは東京駅で遭難したもう一人の首相、原敬の暗殺現場を訪れることにしましょう。えーと、丸の内南口改札のすぐ外にあるはずですが… おっと残念、改修中のようで工事用ボードに床も壁面も覆われて、色つきタイル・解説プレート、ともに見ることができませんでした。再訪を期しましょう。参考までに記しておきますと、1921(大正10)年11月4日午後7時25分ごろ、京都で開催される政友会の近畿大会に出席するため、神戸行き急行列車に乗る直前に、大塚駅の駅員中野艮一(ごんいち)によってここで刺殺されたのですね。ほぼ即死だったそうです。政党勢力の伸張にともなう汚職の蔓延に憤慨しての単独犯ということで決着はつきましたが、背後に右翼が絡んでいた可能性もあり、真相はいまだ不明とのことです。原敬については毀誉褒貶がありますが、軍部・官僚を抑えて政友会の力を伸ばし、名望家による支配を貫いて社会的な安定と産業の発達を企図し、きわめて現実的な手法でそれを実現しようとした政治家ではないかと思っています。普通選挙への冷淡な姿勢からも、民衆の力量に信を置いていなかったこともわかります。己の栄誉や利得については一顧だにしない清廉な政治家であったことも付け加えておきましょう。彼の言です。「富と貴とは卿等の取るに任す、難題と面倒とは乃公に一任せよ」 なお、中岡艮一には無期懲役という判決が下りましたが、三度の恩赦を受け懲役1934(昭和9)年には出所したそうです。先述の佐郷屋留雄もそうでしたが、こうした政治家を殺害した犯人に対する寛刑に、近代史を理解する一つの鍵がありそうですね。
 そして外へ出ると、駅舎の大規模な復元工事が始まっていることがわかりました。辰野金吾の設計によって1914年(大正3)年に竣工した東京の顔ともいうべき名物建築ですが、空襲で大きな被害を受け、旧観を残しながらも三階部分と両サイドのドームは復旧されませんでした。2011年末までにそれらを復元するための大工事が、今進んでいます。これは楽しみですね。
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 まだ時間があるので、丸の内に名建築と旧交を暖めようとすこし周辺を散策しました。丸ビルはすでに建て替えられ、東京銀行協会と日本鉱業倶楽部は外観を保存しつつもその上に無粋な高層ビルが屹立しています。すこしでも旧観を残そうとする努力は認めますが、高層ビルが林立する殺風景な風景には正直辟易します。ま、日本工業倶楽部正面の最上部にある鉱夫と工女像が残っていただけでも諒とすべきなのかな。日本の近代化を支えた/支えさせられた彼ら/彼女らの心血を忘れぬためにも、この像は未来永劫残して欲しいものです。
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 東京中央郵便局は解体作業の真っ最中でした。針をはずされた大時計の文字盤が、「私を正当に弔ってくれ」と訴えかけているようです。なお最近「交通安全足型(仮称)」のコレクションを始めましたが、東京はおおむねこのパターンのようです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-21 06:27 | 京都 | Comments(0)
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