目白編(3):おとめ山公園(10.1)

 そしてこの道の突き当たりにある印象的な建物が、目白クラブ。宮内省が学習院旧制高等科に通う男子生徒のための寄宿舎として建設したもので、竣工は1928(昭和3)年、設計は宮内省内匠寮です。七棟のスパニッシュ風建築が建てられ、現天皇もここで学生生活を送ったそうです。臣民からしぼりとった血税でこんな豪華な建物をつくったのかと思うと、すこしムカッとしますけれどね。それはともかく、リズミカルに斜めに配置された細長い縦長の窓、高い煙突と段々状のスカイラインなど、今見てもたいへん斬新でモダンなデザインです。なお1953(昭和28)年に売却され、現在は日立の所有物件となっています。
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 ここを右に曲がって階段を下りると、すぐ目の前がおとめ山公園です。漢字で書くと"乙女"ではなく"御留"、江戸幕府将軍の狩猟地だったので許可がないと入れない山という意味なのですね。明治になると東西に分けられ、東側を近衛家、西側を相馬家が所有し、相馬家はここに庭園を作らせました。その後、松永安左ヱ門翁の自宅兼茶室となっていた時代を経て、1969(昭和44)年に新宿区立「おとめ山公園」として開園されました。へえー耳庵の茶室がここにあったんだ、箱根板橋壱岐で彼に関する史跡を見ただけに不思議な縁を感じます。なお太田道灌の有名な「山吹伝説」もこのあたりが舞台であったとか。それでは中に入ってみましょう。東側には弁天池があり、すこし進むと公園を二つに分かつ道路が通っています。カルガモの子育て時にはお引越しが見られるそうで、カルガモ横断注意の標識まで置いてあるそうです。そして西側は起伏に富んだ地形で、さまざまな木々が鬱蒼と生い茂り武蔵野の雑木林の趣をよく残しています。都会のど真ん中とはとても思えない、静寂な雰囲気と清冽な空気を楽しむことができました。山の中腹からの湧き水も豊富で、それを利用しての蛍の人工飼育も行われているようです。
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 公園を通り抜けた西側にあるのが相馬坂、その先が七曲坂、こちらは将軍が鷹狩りに来るときの御成道だったそうです。中学校の角のところには元禄という銘のある古い庚申塔がありました。
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 このあたりは下落合ですが、地形に沿って道が複雑玄妙にうねっているため正確な地図がないとお手上げです。地図を片手にうねうねと歩いていると、くもみちゃんが好きそうなトンガリ物件を発見。そして聖母病院前に到着、こちらでは私好みのフェイス・ハンティング物件をゲットしました。
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 その前を進み、左折すると路上でごろごろ転がっているとご対面。こちらが近づいても逃げようとも一顧だにともせずに気持ちよさげに転がっています。このあたりも古くに開発された住宅地のようですね、旧字体の「區」を記した古いホーローの表札を見つけました。竹やぶの脇に続く敷石、その奥の格子戸という風情あるお宅も発見。
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 そして西坂に着きましたが、前掲書で三浦氏が"絶景"と賛美されているわりにはいま一つぴんときません。写真をよくよく見ると、聖母病院のすぐ隣にある坂(名称は不明)が該当するようですが、それほどの景色とは思えません。ま、自分の感性を大事にしましょう。“自分の目は王様”です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-01 06:17 | 東京 | Comments(0)
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