「〈中東〉の考え方」

 「〈中東〉の考え方」(酒井啓子 講談社現代新書2053)読了。〈中東〉と聞くと、イスラームと石油のことしか思いつかないというのは悪い癖だなとつねづね思っていました。本書は、そこに"国際政治の矛盾とツケにふりまわされる中東"という視点を導き入れ、中東の現代政治史におけるダイナミズムを浮き彫りにするという内容です。さすがは碩学・酒井啓子氏、私のような門外漢にもよく理解できる平易でユニークな、しかし奥が深い叙述に多くの蒙を啓かれた思いです。
 一つ例を挙げましょう。"現在中東が抱える問題は、冷戦が生んだ二つのゴミに起因する。ひとつのゴミは、ソ連から垂れ流される核開発技術や原材料などの大量破壊兵器の拡散で、もうひとつのゴミは、アメリカがソ連の影響力を拡大させないために各地で起用したギャング―ビン・ラーディンやサッダーム・フセインのような―だ"というイギリスの国際政治学者フレッド・ハリディーの議論を紹介した上で、氏は、二十一世紀に入って国際政治を騒がせている中東起源のさまざまな事件の背景を探ると、実はその多くが、冷戦時代に米ソの勢力抗争のなかで戦略的に巻き込まれ、利用された人々によって起こされていることがわかると述べられています。ブッシュ政権の「テロとの戦い」は、実はそうした元「子分」を処分する過程だった、という指摘は鋭いですね。(p.133)
 また、オスマン帝国と西欧列強など大国のライバル関係のもとで、したたかに生き延びる術を求め続けてきた中東は、冷戦期においても米ソという二項対立を利用した超大国操作術に依存し、そこからなかなか脱却できないことを問題点として指摘されています。「世界には二大ボス(ボスキャラ!)がいる。そのボスたちの抗争をうまく利用して、いかに自分たちが求めるものを手にするか」とは卓抜な説明ですね。しかし冷戦構造の終焉によって、突然ボスキャラが一人になってしまった。さあどうしよう。残った唯一のボスに追随するか(エジプト…)、新たなボス候補を登場させてアメリカに対抗させるか、あるいは唯一のボスに挑戦することで名を上げるか(ビン・ラーディンやサッダーム・フセイン)、現今における中東の混迷の一つの原因はここにありそうですね。
 そしてまた、筆者は中東における民主化の遅れの原因をもここに見ています。政権維持のために国内の民衆の声より大国との関係を重視し、自国で指導力を高めるための大国とのパワー・ゲームに汲々とする為政者たち。大国にとっても、協力的な独裁政権は自らの利益のためには好都合です。先進国の中枢と、途上国の中枢が手を取り合って民主化を抑圧し利益を貪るという構図がここでも見え隠れします。また産油国においては、石油収入を国民にばら撒いて国民の支持を確保することによって王族による専制支配が維持され、民主化が進まないという指摘もありました。
 それでは、彼らに支配される民は何を思っているのだろうか? 筆者曰く、中東の社会ほど自立心が強く、それを誇りに思う大衆の激しいエネルギーを感じさせる地域はありません。大国を利用し利用される政府に対して、それを「従属的だ」として反発する動きがかつては、民族主義運動として爆発しました。その民族主義政権が前述のように、民衆の声を無視して大国操作ゲームに現を抜かすようになると、それに代わって登場したのがイスラーム主義勢力です。西洋世界に加われるわけでもなく、かつての旧態依然とした伝統的イスラーム社会を維持しているわけでもない、自分たちのアイデンティティーは何なのか―。そして自分たち独自の方法で、近代化を進め、国際社会と共存していく方法はないのか。そのひとつの答えとして、今、中東の人々はイスラームを選んでいるというのが筆者の主張です。ただ"狂信的なイスラーム原理主義"というのはかなり偏った見方で("原理主義"とはもともとキリスト教における運動)、近代化し大衆化したイスラーム社会と考えた方かいいでしょう。宗教指導者や政府から押しつけられたものを無批判に受容するのではなく、さまざまなメディアを通してさまざまな主張に触れ、自らの考えに近いイスラームを選び取り、自己主張の核とする。今、中東の民衆はそうした"自分探し"の真っ最中なのかもしれませんね。
 他にもパレスチナ問題、イラク戦争、アフガニスタン問題、イランの動きなどについても、的確な言及をされています。ずいぶん勉強になりました。一つだけ挙げておきますと、アメリカとの対話を唱えて緊張緩和政策を推し進めたハータミー大統領が選挙で敗れるという出来事がありましたが、実のところよく理解できませんでした。彼には期待していたのに、なぜイランの人々は彼を選ばなかったのだろう? はい、酒井氏の分析です。
 革命支持派も反対派も、欧米文化にあこがれても欧米にはなれない、という強烈な痛みは、イランに限らず、中東全体が抱えるトラウマである。
 国際政治においても、イラン人にとってアメリカは、…「片思いの対象」…その価値を認めてもらいたい相手だった。
 …自分たちイラン人にとってアメリカはひどく大きな存在なのだから、アメリカにとってもイランが同じくらい大きな存在であるはずだ、いやそうあってほしい、というイラン人学生の心情… (p.183)
 しかしアメリカはそうした思いを知ってか知らずか、ハータミーの「微笑み外交」を完膚なきまでに無視しました。ILSA法(※対イラン・リビア制裁強化法)の期限を更新延長し、2002年にはブッシュ大統領がイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」として徹底的に糾弾したのですね。一身に国民の期待を浴びたハータミーですら、事態を変えることができない、という失望感・閉塞感が国民に政治的無力感を与え、さらに保守派の巻き返しも激しくなります。そして選ばれたのが、奇矯な言動とストレートで庶民にわかりやすい発言で、そして何よりもアメリカに対する強硬な姿勢で人気を集めたアフマディネジャードだったのですね。なるほどよくわかりました。余談ですが、"奇矯な言動とストレートで庶民にわかりやすい発言"という言葉で小泉元軍曹と石原強制収容所所長のことを思い出したのは私だけでしょうか。失望感・閉塞感・政治的無力感という状況の中では、こうしたタイプの政治家が人気を博すというひとつの証左かもしれません。
 さて周知のように、チュニジアで、エジプトで、そしてリビアで大きなうねりが起きました。この動きも、大国と癒着し国内政治を顧みなかった長期独裁政権に対する、民衆の怒りの爆発だと考えます。中東情勢を考える上で大いなる一助となる好著、お薦めです。
by sabasaba13 | 2011-03-13 07:25 | | Comments(0)
<< 言葉の花綵47 丹波・播磨・摂津編(27):旧... >>