「赤い人」(吉村昭 講談社文庫)読了。吉村氏の歴史小説には心ひかれます。冷静にして要を得た筆致、綿密な考証、そして何よりもフットライトを浴びる大看板ではなく、目立たぬながらも重要な仕事をなしとげた歴史上のバイ・プレーヤーたちや、歴史の波に押し流されながらも必死に生きようとした市井の人々を主人公にすえているのがいいですね。これまでも「冬の鷹」(前野良沢)、「ポーツマスの旗」(小村寿太郎)、「長英逃亡」(高野長英)、「天狗争乱」(水戸天狗党)といったしぶい諸作を読んできましたが、どういうわけか最近とんとご無沙汰していました。先日、たまたま「シリーズ日本近現代史⑩ 日本の近現代史をどう見るか」(岩波新書1051)を読んでいたところ、詳細にして有益なブックリストが掲載されており、その中で紹介されていたのが本書です。北海道開拓の暗部に横たわる集治監の歴史、これは面白そうだと購入、あっという間に読了。その筆の冴えに魅了され、またしばらく吉村氏の歴史小説にはまりそうです。
“赤い人”とは、赤い囚人服を着せられた囚人をさしています。まず、石が入っているもっこを担いだ囚人を描いた表紙の絵が秀逸。横山明氏の手によるものですが、徒労感を色濃く漂わせながらも、不撓不屈の意志をみなぎらせた表情が、「俺の話を聞いてくれ」と語りかけてくるようです。赤い囚衣の男たちが石狩川上流に押送されたのは1881(明治14)年、以後、鉄丸・鉄鎖につながれた彼らの死の重労働によって酷寒の原野が切り開かれていきます。その労働の凄まじさ、自然の厳しさ、そして囚徒に対する扱いの酷薄さを、著者は冷静な筆致で淡々としかし克明に描きつくします。例えば… 十一月下旬の朝、病監で三人の囚人が冷たくなっているのが発見された。その日、三個の棺が作られて、遺体をおさめると囚人たちにかつがれて裏門からはこび出された。囚人たちは腰まで雪に没しながら棺を埋葬地へとはこんでゆく。風がおこって、雪が飛び散り、獄衣は白くなった。棺は、埋葬地の雪の中に埋められた。雪をおこし土を掘るのは困難なので、融雪期まで雪中におさめておくことにしたのだ。監獄を視察した金子堅太郎が、政府へ次のような復命書を提出しているそうです。「(囚徒)ハモトヨリ暴戻ノ悪徒ナレバ、ソノ苦役ニタヘズ斃死スルモ、(一般ノ)工夫ガ妻子ヲノコシテ骨ヲ山野ニウヅムルノ惨情トコトナリ、マタ今日ノゴトク重犯罪人多クシテイタヅラニ国庫支出ノ監獄費ヲ増加スルノ際ナレバ、囚徒ヲシテコレラ必要ノ工事ニ服セシメ、モシコレニタヘズ斃レ死シテ、ソノ人員ヲ減少スルハ監獄費支出ノ困難ヲ告グル今日ニオイテ、万止ムヲ得ザル政略ナリ」 “暴戻ノ悪徒”なので過酷な労働で死んでもかまわないし、死ねば死ぬほど監獄費の出費を抑制できる、というわけです。さらに彼は、労賃を抑えることもでき、さらに北海道における囚徒の悲惨な状況の話が内地に伝われば犯罪の抑止残忍なるとも語っています。その上で北海道を開発できるのですから、これは政府にとって一石三鳥、四鳥の政策です。また、維新後に続発した一連の反政府行動、佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱、西南の役でとらえた者たちを収容して「誤マレル反乱ノ前非ヲ悔悟セシメ」、同時にこの北海道の集治監の惨状が反政府運動を企てようとする者たちを威嚇し、牽制しようとする狙いもありました。この後に起こった一連のいわゆる自由民権運動激化事件、群馬事件、加波山事件、秩父事件の首謀者たちも次々と集治監に送り込まれます。こうして見ると、当時の北海道は日本政府にとってシベリアのような政治犯の流刑地であったことがよくわかります。 こうした人々を人枕にして開発されていった北海道の歴史を、著者の吉村氏は、その犠牲者・加害者に感情移入することなく、淡々としかし精緻に描きつくしていきます。大向こうを唸らせるような大言壮語をせず、誠実に歴史の光と影に向き合おうとする著者の姿勢に敬意を表しましょう。歴史における影の部分のみをとりあげる姿勢を“自虐史観”として批判される方がおられますが、私の読書経験ではそれほど極端な歴史書には出会ったことがありません。それよりも、歴史における光のみに言及する、私に言わせれば“自慰史観”を奉じておられる方は散見されます。そうした方々にぜひ読んでいただきたいものです。フランスの史家・マルク・ブロックの言葉です。 ロベスピエールをたたえる人も、にくむ人も、
by sabasaba13
| 2011-04-25 06:16
| 本
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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