「世界の歴史8 絶対君主と人民」

 「世界の歴史8 絶対君主と人民」(大野真弓 中公文庫)読了。今の世界のありようを知りたい、なぜそうなったのかを理解したい、そしてその未来について考えたい、そうした大それた思いをもって世界の歴史に関連した書物を読み続けています。本シリーズはもはや古典と言ってもよいでしょう。1974(昭和49)年から刊行された、全十六巻のコンパクトな世界通史です。ラインナップは、1.古代文明の発見(貝塚茂樹)、2.ギリシアとローマ(村川堅太郎)、3.中世ヨーロッパ(堀米庸三)、4.唐とインド(塚本善隆)、5.西域とイスラム(岩村忍)、6.宋と元(宮崎市定)、7.近代への序曲(松田智雄)、8.絶対君主と人民(大野真弓)、9.最後の東洋的社会(田村実造)、10.フランス革命とナポレオン(桑原武夫)、11.新大陸と太平洋(中屋健一)、12.ブルジョワの世紀(井上幸治)、13.帝国主義の時代(中山治一)、14.第一次大戦後の世界(江口朴郎)、15.ファシズムと第二次大戦(村瀬興雄)、16.現代-人類の岐路(松本重治)。実は大学生の頃、一度通読したことがあるのですが、その後は本棚の上のほうで埃をかぶっていました。多少世界史についての知識も増えたので読み返せば新しい発見も得られるのではと思い、また村上春樹氏がしばしば本シリーズの素晴らしさについて言及されているので、再読するにいたった次第です。
 構成を一見してわかるように、ヨーロッパについての歴史叙述が中心であり、世界システム論やグローバル・ヒストリー的な視座が欠けるのは、時代の制約ゆえでしょう。いたしかたないと思います。ただそれを補ってあまりあるのが、歴史叙述の豊穣さです。歴史という大きな波に、時には抗い時には流され、その時代を生き抜こうとした王侯貴族、知識人、軍人、そして民衆。そうした多くの人々の、人間的な、あまりにも人間的な作為や不作為が、歴史という巨大なタペストリーを織りあげてきたのだなあ、とあらためて教えられます。特筆すべきは、そうした叙述が、わかりやすく、かつ生き生きとした魅力的な筆致で描かれていることです。さらに本書では、音楽や美術など芸術と時代の関わりに対する目配りも充実しています。
 例えば、ドイツの歴史を例にあげましょうか。カトリックとプロテスタントの宗教紛争に端を発する三十年戦争(1618~48)によって、幾多の領邦が分立していたドイツは壊滅的な打撃を受けました。人口は三分の一に減少、村落の六分の五は破壊され、商業ルートもずたずたに分断されてしまいます。
 だが人間の心のなかはもっと暗かったであろう。長い戦乱は人々の希望の灯を吹き消し、心は深い闇に閉ざされていた。道徳や文化は地をはらい、虚無的な生活態度、無知、迷信ばかりがさかえ、飢えと背中あわせの暴飲暴食、忌まわしい魔女狩りが勢いをふるった。
 ドイツの歴史の歯車は、三十年戦争によって二世紀も逆転させられた。(p.20)
 ウェストファリア条約(1648)によって、三百数十もある諸侯は完全な絶対君主として認められ、神聖ローマ皇帝の権威は有名無実となり、ドイツの分裂はここにきわまります。この著名な条約は国家の主権を確立した画期的なものであると同時に「ドイツ帝国の死亡証書」でもあったのですね。以後、ドイツにはこれから二百年も続く"長い夜の闇"が訪れることになります。そして十八世紀、最大の領邦であるプロイセン国王フリードリヒ1世(1657―1713)は、大国に仲間入りするために、貧しい国力をあげて強力な軍隊をつくり、そのためにまた集中的でいっそう能率のよい官僚制度をつくりあげようとします。
 彼の理想は、いつでも戦える姿勢にある針鼠のように武装した軍国プロシアの完成であった。(p.320)
 しかし彼の息子、後のフリードリヒ2世(1712―86)は、父親の強圧的な教育に反発し自由を求めて、友人のカッテとともに逐電してしまいます。
 皇太子はキュストリンの要塞監獄につながれた。カッテは同じ監獄で首をはねられた。フリードリヒは窓枠に首を押さえつけられて、むりやりこの光景を見せられ、ついに気絶してしまった。
 この事件はフリードリヒの生涯の転機となった。禁錮と監視つきの生活の一年の後、許されてベルリンに帰ってきたとき、十九歳の青年は見ちがえるように老成していた。彼は考え深くなり、自分しか頼りにしなかった。そして口数も少なく、仕事に勉強にいっそう精出した。父に対して依然根強い敵意をいだいていたが、表には出さなかった。あの恐ろしい経験は、服従以外の生きる道がないことを教えた。また、父親の政治家としての手腕について息子の眼は次第に開けてきていた。(p.327)
 プロイセンの強大化という任務を息子に託すためには手段を選ばない、その冷徹にして凄惨なやり方には膚に粟が生じます。そしてフリードリヒ2世(大王)は己の運命を受け容れ、合理主義の一面だけを強調した官製「啓蒙主義」を専制政治の道具として駆使しながら、ユンカー制度のような古い支配関係を維持し、そのギャップを冷やかに見つめて現実主義に徹しながら、国中を兵舎のように、すべての臣民を伍長が練兵場で兵士を扱うように扱います。王の晩年にベルリンにいたあるイギリス大使は、こう言ったそうです。「プロシア王国は、わたしには巨大な牢獄を思わせる。その真中に、囚人の世話に忙しい偉大な典獄が立っている」(p.362) 表面的な啓蒙思想の流布、兵営国家という現実、そうした状況のなかで自由を希求するドイツの人々。わが敬愛するJ.S.バッハが生きたのはこういう時代だったのですね。
 誠実で内気なバッハは、二十人もの子供を育てながら清貧に甘んじ、一生、中部ドイツにとどまった。彼の音楽こそは、古い枠に閉じこめられながら、自由へのあこがれと躍動する力を身内に感じはじめていた当時のドイツ市民階級の感情を最もよく象徴するものといえよう。(p.376)
 フリードリヒ2世から与えられたテーマをもとに、「音楽の捧げ物」を作曲したバッハはどういう思いを込めたのでしょう。そして啓蒙思想が専制的な支配の道具として使われたことにより、ドイツの市民階級は反発を感じ、その反動としてのロマン主義・非合理主義に走り、「疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)」が文学界を風靡することになります。また内心で燃え盛る理想と、過酷な現実の相克が、非政治性、孤高な生活態度、閉鎖的な書斎、難解な学術用語などのパターンとなって、のちのドイツの学者に受けつがれたという指摘も鋭いですね。例えば、既成哲学のあらゆる権威を片端から打ちこわしながらも、権力に従順なプロイセン臣民として生涯をおくったカント、その思想の領域での自由闊達さと実生活での矮小さとのあまりにもはなはだしい対照。

 三十年戦争による壊滅的な打撃、脆弱な市民階級、フリードリヒ2世によるプロイセン強大化のための苛烈な専制政治とそれをスムーズに行うための啓蒙思想の導入、それに対する反動としてのロマン主義と非合理主義。後にドイツの人々がナチズムを受容し支持してしまう理由がわかったような気がします。またドイツにおいて素晴らしい音楽家が輩出した理由の一端もここにあるのでは。自由や理想に対する強い思いを、国家権力に弾圧・迫害されることなく吐露するには、音というニュートラルな素材を使うしか方法がなかったのではないでしょうか。そして近代日本は、このプロイセン、後のドイツをお手本として国家建設に邁進したということも忘れぬようにしましょう。先述のイギリス大使の言葉をすこし改変すれば、そのまま近代日本にあてはまるのではないでしょうか。 「大日本帝国は、わたしには巨大な牢獄を思わせる。その真中に、囚人の世話に忙しい偉大な典獄たちが立っている」

 時代の風雪をくぐりぬけ、いまだ光輝と芳香をはなつ世界通史。歴史を読む喜びを幾度も味あわせてもらいました。昨今における、いわゆる"歴史離れ"をくいとめるには、やはりこうした豊穣な歴史叙述に負うところが多いとおもいます。わかりやすくて、面白くて、役に立つ歴史書がもっともっと刊行されることを期待してやみません。

 本日の一枚は、プラハ城にある、三十年戦争のきっかけをつくった窓です。
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by sabasaba13 | 2011-05-20 05:47 | | Comments(0)
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