立て。

 偶然とはおもしろいものですね、先日の拙ブログ「言葉の花綵52」にたまたま下記の言葉を掲載しました。
 もちろん、一般の国民は戦争を望みません。…でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民に向かって、我々は今、攻撃されているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です。(ニュルンベルク裁判におけるゲーリング)

 青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思いこませよ。みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思いこませるのだ。(ヒトラーがゲッベルスに語ったと言われる言葉)
 さすがはご両人、国家権力の前に国民を傅かせる方途を熟知されています。愛国心に欠ける者=国家の敵だとみんなに思い込ませ、そして非難すればいいのですね。その愛国心を涵養/強要する際にしばしば利用される道具が、国家・国旗・儀式・モニュメント、よってその取扱いには慎重な注意を要すると考えています。そして同日の朝刊(朝日新聞 2011.5.31)の一面にこんな記事が掲載されていました。「君が代起立命令、合憲」「最高裁 初の判断」 公立学校の卒業式で「君が代」を斉唱するときに、教員に起立を命じる校長の職務命令は合憲であると、最高裁が判断したわけです。その理由は、①国旗・国歌の扱いは学習指導要領や国旗・国歌法に明文化されている、②公務員として職務命令に従わなければならない、③命令は教育上の行事にふさわしい秩序を確保し、式典の円滑な進行を図るものだった、としています。(さすがに「起立しない者=国家の敵」という理由づけはしていません) なお後学の為に、①に関する該当箇所を確認しておきましょう。
高等学校学習指導要領 第4章特別活動 第2内容 C学校行事 (1)儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。

第3 指導計画の作成と内容の取扱い
 3 入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。

国旗及び国歌に関する法律
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
 ま、私なりに要約すると、「命令だから立て」「座っていると目障りだから立て」というところでしょうか。本音は、「子供たちに国家への服従心を植え付けることに協力しなかった」というものだと推測します。しかし、「君が代」斉唱に際して起立をしないという行為は、思想及び良心の自由、そしてそれを表明する自由に該当するのではないのでしょうか。
日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
 以前に紹介しました小室直樹氏の言葉を借りれば、警察だって軍隊だって動かすことができる恐ろしい力を持った怪物=国家権力、それを縛るための、最強の鎖が憲法です。そしてその鎖を使って怪物を縛り上げ、わたしたち国民の自由や権利を守るのが最高裁の役目のはず。しかし、今回の判決では、憲法よりも、学校教育法施行規則に基づいて定められた学習指導要領を重視したわけですね、やれやれ。なんで最高裁を含む日本の司法は、国家権力に寄り添い、国民の自由や権利を蔑ろにする判決をほいほいと気軽に下すのでしょう??? 原発に関する裁判にしてもそうですね。広瀬隆氏は『福島原発メルトダウン』(朝日新書298)の中でこう述べられています。
 …原発の運転停止を求めるこれまでの裁判は、ことごとく判で押したように「国の定めに合っている」というだけで、司法の判断を放棄して住民の訴えを切り捨てる御用裁判官ばかりが登場してきました。これらの裁判官が国の原発政策を放任・容認して、国民の生命をここまで危機にさらしてきた責任は、きわめて重大だと言えます。(p.192)
 私たちは本気で根本的な司法改革に取り組むべきでしょう。なお最高裁の問題点については、『最高裁が法を犯している!』(井上薫 洋泉社新書y192)の書評において紹介したので、ぜひご照覧ください。また衆議院選挙の際の最高裁裁判官国民審査のための備忘録として、今回の判決を下した裁判官の氏名を記しておきます。(敬称略)

 須藤正彦・古田佑紀・竹内行夫・千葉勝美
by sabasaba13 | 2011-06-01 06:19 | 鶏肋 | Comments(0)
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