天浜鉄道・中津川編(15):明智(10.7)

 さてそれでは「浪漫亭」で、大正村名物のコロッケカレーをいただいて岩村へと移動することにしましょう。途中にあった大正路地は、往時の雰囲気を漂わせる米倉と呉服問屋の蔵が並ぶ昔ながらの路地です。数個の桟を外して外壁の黒い羽目板を取り外すと、たちまち一面の土壁となって防火壁の役目を果たし、窓を閉ざせば外からの延焼を防ぐ仕組みになっているそうです。漆喰の白と黒板のコントラストが、素敵な景観をつくりだしていました。
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 その先にある橋を渡ろうとすると、たもとに「嗚呼!哀史 糸曳き乙女地蔵」が寂しげに佇んでいました。製糸女工を祀ったものなのでしょうか、解説が欲しいところです。
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 煉瓦造りの煙突のあたりを左に行くと、浪漫亭にたどりつきます。♪お腹と背中が…くっつくぞ!♪とハミングをしながら、二階へ駈け上ろうとすると、食事は午前11時からというつれない表示。やれやれ、しかたがない。大正モダンを意匠した男女表示のあるトイレで小用を済ませ、浪漫亭の前にある小さな店で五平餅をいただくことにしました。
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 焼き立ての香ばしい五平餅をはふはふとたいらげ、明智駅へ。駅前にあった地図を何気なく見ていると、「上田良子」「下田良子」という地名がありました。「それがどうした」と言われると「なんくるないさあ」としか答えられませんが、ちょっとそそられる地名です。この手の調査はやはりインターネットが向いています。さっそく調べてみたところ、何と「かみたらご」「しもたらご」と読むそうです。合点合点合点。
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 黒猫と白い紫陽花と苔生す岩を撮影し、駅舎に入ると恵那地区に関する行政の情報誌が置いてありました。何気なく手にして紐解くと、恵那の近くに1924(大正13)に完成した日本最初の発電用ダム、大井ダムの紹介文がありました。建設したのは福沢桃介、以前に南木曽にある桃介橋や彼の記念館、彼と川上貞奴が暮していた二葉館を訪れたことがあるので、これはそそられます。ましてダムの追っかけを自称する私としては、なおさらです。時間と財政に余裕がないので、悔しいけれど再訪を期すことにしましょう。入線してきた明知鉄道の列車に乗り込むと、車内に自衛官募集のポスターが貼ってありました。就職難につけこんで兵士を掻き集める、日本はどんどんアメリカ化していきますね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-08-10 07:36 | 中部 | Comments(0)
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