言葉の花綵59

 教養という風呂に入りたがった。(サルトル 『言葉』)

 昼は本当の自然の探究者として実験を進め、夜はひき籠って古典的な名著を読むというような本格の生活をしてみたいと思うこともある。それには今のような一番好都合の位置にいながら、事実は全くの逆の傾向に堕ちようとしている自分を省みて、時々激しく思い返されてくる。(中谷宇吉郎 『御殿の生活』)

 読書が勤学であるように解されたのは昔の道学先生の学究観で、読書は実は享楽である。(内田魯庵 『魯庵随筆 読書放浪』)

 ひもじさと 寒さと恋と 比ぶれば 恥ずかしながら ひもじさが先 (unknown)

 あご蠅:房事過多で精魂が尽き果て、あごに来た蠅も手で追い払えない有り様。(unknown)

 考えてみれば、顔の造作ほど不公平なものはない。本人が努力したわけでも心掛けが良かったわけでもないのに、生まれながらのご褒美のごとく美しい容貌をもち、周囲からちやほやされて一生を送る人がいる。何も悪いことはしていないのに、一生分の冷や飯が入ったお櫃を顔に括りつけて生れてくる人もいる。(竹内政明)

 われわれは、親ゆずりの物質的財産で威張るやつを軽蔑するのに、親から貰った美貌で威ばったり得をしたりする人間をどうして軽蔑してはいけないのか。(平林たい子 『不美人論』)

 動物の世界では、ライオン、トラ、クマといった捕食動物は、目と目がくっついている。一方、キリン、ウサギ、ハトなど、餌食にされる動物は目と目のあいだが離れており、それぞれが頭の脇のほうについている。生き残るために周辺視野が必要だからだ。(パトリシア・コーンウェル 『神の手』)

 (俳句とは)扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、そこから放散する連想の世界を暗示するものである。(夏目漱石)

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ (水原秋櫻子)

 恋が着せ、愛が脱がせる。(眞木準)

 一、スジ(物語の筋)、二、ヌケ(映像の出来)、三、ドウサ(演技) (マキノ省三)

 「妻のために予定した墓銘碑」
 ここに葬られしはわが妻。安らかに妻を眠らせたまえ!
 今ようやく妻は心安らぐ、私もまたしかり。(ジョン・ドライデン)

 神、宇宙を創って休みたまえり、また男を創って休み給えり、されど女を創ってより、神も男も休むことなし。(『英和笑辞典』)

 会社がつぶれるのは、利口同士が喧嘩しているか、バカ同士が仲良くしている時です。(磯田一郎)

 喜ぶな 上司と野球にゃ 裏がある (『サラリーマン川柳』)
by sabasaba13 | 2011-09-20 05:36 | 言葉の花綵 | Comments(0)
<< 「わたしの非暴力2」 クロアチア編(22):シベニク... >>