戦争が終わったら、自分だって戦争中は黙っていたくせに、まるで自分ひとりは戦争を反対してきたみたいに、ばかな戦争だったとか、間違った戦争だったとかって、偉そうなこと言って…私だってそうでした。少しでも暮らしが豊かになるのならって、竜三さんの仕事には目をつぶってきました。戦争のおかげでぬくぬくと暮してきたのに、今では、戦争を憎んでいます。(橋田壽賀子 『おしん』)
多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。…たとえば民間のものは軍や官にだまされていたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人が二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。…「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに画然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。(伊丹万作 『戦争責任者の問題』)
夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で、妙に人を弱気にさせる。(向田邦子 『冬の運動会』)
育ちは変へられない、長屋に落ちても俺あ殿様だ、長屋の奴らに意見されても、きゝっこない。(古川ロッパ)
鉄幹は昼過ぎともなると、きまったように庭先に出てきて、ダリヤの根元にうずくまっていた。晶子が何をしているのかと気をつけて見ていると、なんと彼は錆包丁を手にして、土穴から出てくる蟻たちを叩き潰すことに熱中しているではないか。これをみて晶子が「あなた、また蟻なんですか」と情なげに尋ねると、鉄幹が「憎いからね」と答えるのを聞いて、彼女はゾッとさせられる。(福本邦雄 『炎立つとは』)
べらぼうめ、寝ようというからはだ、え、一番の髷に、赤い手絡(てがら)かなんかかけて、金沙の友禅の長襦袢かなんかに、伊達卷きをキュッと締めて、鬢のほつれが、色の白いところにパッと来て、くの字なりになって、もう寝ましょうヨてえのはしようがないよ。それを、え、油虫の背中みてえな色をしやがって、もう寝ようたァ、何事だッ。なぜ、そう亭主をおびやかすんだ。(古今亭志ん生 『風呂敷』)
ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み飲み浮き沈み (森繁久彌)
おめでとう。入学した百七十人の諸君は磨けば光る原石である。この中から、一つか二つ美しく輝く宝石のような芸術家が生まれればそれでよい。他の百六十八人は宝石を磨く手伝いをせよ。(東京芸術大学学長上野直昭の祝辞)
徽章
むかし帽子の上に光る徽章のやうな人間になりたいと思つてゐた
いま自分は靴のうらに光る鉄鋲のごとき存在にすぎない
人しれず 支へつゝ
磨りへらんかな (杉山平一)
雲 「ももひざ三年尻八年って言葉知ってますか?」
沖田 「ハ?」
雲 「女に触るにも年季がいりやしてね。まァいやがられずに触るには、ももやひざなら三年、尻には八年のキャリアがいる」 (倉本聰 『浮浪雲』)
不得手なものから奇蹟は生まれない。(鈴木清順)