クロアチア編(40):ドブロヴニク(10.8)

 余談ですが、You Tubeで「クロアチア政府プロパガンダコマーシャル」を検索すると、この頃に放映された同CMを見ることができます。これは一見の価値あり。もう一つ付言しておきますと、このクロアチア紛争にユーゴ連邦軍が介入したやり方は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのムスリム人から見れば、クロアチアの少数民族のセルビア人を支援し、クロアチアの当然の権利である民族自決権を否定し独立を阻止するもので、"大セルビア主義"を地で行くものに映りました。他方、ボスニアのセルビア人は、クロアチアの少数民族であるセルビア人の無残な姿に、ボスニアが独立に動き出した場合の自らの姿を重ね合わせます。こうして、クロアチア紛争の勃発は、ボスニア紛争を胎動させることになったのですね。ボスニア紛争については、また後で触れたいと思います。
 稚拙な概略ですが、いろいろと調べているうちに二つの大きな問いが浮かんできました。一つ目、クロアチア紛争の基本的な構図は、クロアチア人とセルビア人の抗争と考えていいと思います。しかし両者は、ほぼ同じ南スラヴ語を話し、何世紀にもわたって同じような村落生活を営んできたわけです。またかたやカソリック、かたやギリシア(セルビア)正教と、異なる宗教を信じていたものの、都市化・世俗化が進行した今日では、その違いもかつてほどの意味を持ちはしないでしょう。この両民族間での通婚は、あるところでは30%にも達していたという指摘もあります。その両者が、なぜ、町や村、さらには街路を挟んで死にものぐるいの戦いを繰り広げたのか。たしかに第二次世界大戦時の忌わしい記憶もあったでしょうが、その後五十年もの間、旧ユーゴの人々は民族の違いを超えて、日常的には民族を意識しないで平和共存してきたのに、なぜ急に、互いに牙をむき出して血で血を洗う民族紛争を戦うにいたったのか。
 二つ目、おそらく今、人類が直面しているアポリアは、環境問題、富の偏在/貧困の蔓延、核兵器・核(原子力)発電所の存在、そして民族紛争でしょう。その根っ子は一つにつながっていると思いますが、それはさておき、民族紛争という宿痾をなくすにはどうすればよいのか。この凄惨なユーゴ紛争から、それを解決するための方法を学び取ることができないであろうか。旅を続けながら、この二つの問いを考えていきたいと思います。
 さて、「帝国の砦」の屋上に出ると、ドブロヴニクを眼下に一望できる素晴らしいビュー・ポイントでした。ロープウェー頂上駅の展望台では気になったケーブルもさほど目立ちません。おまけに雲が切れて陽光がさしてきました。紺碧のアドリア海に浮かぶオレンジ色の真珠、いやあ眼福眼福。ここを先途と写真を撮りまくりました。
 またドブロヴニクへと下りる九十九折の坂道も見えましたが、坂の途中に木の十字架が一つたっていました。内戦で亡くなった方の、あるいは地雷で亡くなった方のメモリアルでしょうか。ガイドブックによると、このスルジ山周辺では対人地雷が完全に撤去されておらず、赤い髑髏マークの標識があるそうです。
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 そして駅へと戻り、面白い形の消火栓を撮影し、トイレでフェイス・ハンティングを行ない、ふたたびロープウェーに乗って下山。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-10-19 06:19 | 海外 | Comments(0)
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