クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)

 朝の六時ごろに目覚め、ベランダに出るとお天道様のご尊顔を拝むことができました。今日も好天のようです。本日はボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルを見学した後、長駆プリトヴィッツェへと移動します。よって出発は午前八時、山ノ神の身づくろいが終わったら、はやめに朝食会場に行きましょう。昨日もいたとら猫が、ぶーたれた顔でだるそうに近付いてきます、ういやつじゃ。添乗員さんがいらしたので昨日の様子を伺うと、渋滞もなく予定通りスムーズにコトルから戻ってこられたそうです。それはよかった。朝食を食べ終え、散歩がてらホテルのビーチに寄ってみると、砂浜ではなく岩場にデッキ・チェアが並べられていました。水着をもってくればひと泳ぎできたのに、無念。部屋に戻り、セーフティ・ボックスから貴重品を取り出し、出すべきものを出し、集合時刻五分前にロビーへ。これでホテル・ネプチューンとはお別れ、定刻通りバスは出発しました。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6192023.jpg

 まずは一昨日も立ち寄ったボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ネウムへと向かいます。道端に魚雷艇らしき船が野外展示されていましたが、これも内戦が落した影なのでしょうか。さしがは世界有数の観光地、バスターミナルのあたりはツーリストでごった返しています。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6194796.jpg

 そしてアドリア海に沿った道をバスは疾駆、今日は晴れているので青い空と紺碧の海がひときわ目を楽しませてくれます。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6201011.jpg

 ボスニアへの国境検問所は簡単にスルー、一時間強でネウムに到着し、小休止です。今日はたくさんの観光バスがスーパーマーケットの駐車場に停められておりたいへんな混雑。みなさんこれからドブロヴニクに向かうのでしょうか。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6205825.jpg

 そして出発、クロアチアへの国境検問所をスルーしてしばらく走り、広大な果樹園のあるあたりで、ネレトヴァ川に沿って内陸へと向かいます。そしてふたたびボスニア・ヘルツェゴヴィナへの国境です。今回は検査官がバスに乗り込んできて、パスポートのチェックを行いました。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6212417.jpg

 さてそれではボスニア・ヘルツェゴヴィナについて、スーパーニッポニカ(小学館)に依拠しながら、かんたんに紹介しましょう。7世紀前半、この地方の北部と西部にクロアチア人、南部と東部にはセルビア人が定住し、さまざまな支配者が群雄割拠していましたが、12世紀後半にクリンが中世のボスニア国を統一します。東西の分岐点に位置するこの地方は、ローマ・カトリックと東方正教会双方の影響を受けることになりました。 14世紀前半、コトロマニチがヘルツェゴヴィナをも支配し、さらに領土を拡大していきます。しかしその後、内紛が続き、1463年にオスマン・トルコ帝国の領土に組み込まれ、以後約400年にわたりその支配下に置かれることになります。1875年、オスマン支配に対する農民反乱がおこり、この反乱が引き金となりロシア・トルコ戦争を誘発。1878年のベルリン条約により、オーストリアの行政管理下に置かれます。そして1908年に同国によって併合されたことが第一次世界大戦の導火線となるわけですね。同大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」に統一され、第二次大戦後は旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた6共和国の一つとなります。その後の独立と紛争については章を改めて述べたいと思います。
 面積5万1129平方キロメートル、人口352万7000(1994推計)。首都はサライエボ。この国の特徴はなんといっても複雑な民族構成です。1991年、旧ユーゴスラヴィア時代の国勢調査によれば、ムスリム人(オスマン帝国統治下でイスラム教に改宗したクロアチア人やセルビア人。ムスリムとはイスラム教徒の意だが、しだいに民族概念となっていったため、1971年から民族として認められた。民族構成比40%)、セルビア人(32%)、クロアチア人(18%)、ほかにモンテネグロ人、アルバニア人、トルコ人、ユダヤ人、ロマ(かつてはジプシーとよばれていた)など多様な民族が住んでいますが、内戦による影響で250万人以上の難民がでるなど、人口や民族構成は著しく変化しているそうです。

 本日の二枚です。
クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6215129.jpg

クロアチア編(44):モスタルへ(10.8)_c0051620_6221241.jpg

by sabasaba13 | 2011-10-27 06:23 | 海外 | Comments(0)
<< クロアチア編(45):モスタル... 言葉の花綵61 >>