クロアチア編(46):モスタル(10.8)

 さて、ここモスタルは、内陸とアドリア海を結ぶ、かつてのキャラバン・ルートに位置する町として交易で栄えました。ドブロヴニクやコトルから塩、魚、オリーブ、干イチジクなどが運ばれ、内陸から肉、獣脂、蜂蜜、羊毛、穀物、蜜蝋などが運ばれました。また1463年にオスマン・トルコ帝国の領土に組み込まれ、以後約400年にわたりその支配下に置かれたため、街並みも(行ったことはありませんが)トルコのような雰囲気をただよわせています。ひしめくように建ち並ぶ石の家、絨毯や金属細工を売る土産屋、モスクやトルコ風呂、川原から集めてきた丸い石を敷き詰めた狭い路地、エキゾチックな趣を堪能できました。もちろん、弾痕など内戦の傷跡もそこかしこで見られます。
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 郵便ポストとはとりあえず撮影しておくことにしています。
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 そして町の中央を流れるのが、険しい山々をえぐるように流れるネレトヴァ川。ここにかけられている、美しいアーチを描く石橋が「スタリ・モスト(古い橋)」です。1566年、オスマン・トルコの時代につくられた橋ですが、実は内戦の砲撃によって、1993年に破壊されてしまいます。内戦が終結した後、ユネスコと世界銀行の援助、募金などにより修復が行なわれ、破壊され落下した石を川から拾い出し、足りない石は16世紀の建設時と同じ石切り場から補い、2004年4月、往時のままに復元されたそうです。橋のたもとにはたどたどしい字で"DON'T FORGET '93"と刻まれた小さな石碑がたてられていました。橋の中央から眺めると、川の両岸に肩を寄せ合うようにして家々が建ち並んでいます。何百年も平和に共存し、この橋を渡って行き来してきたムスリム人とクロアチア人が、内戦の勃発とともに川を挟んで殺し合いをはじめたのかと思うとやりきれなくなってきます。他者とつながるための心の橋は、かんたんに壊されてしまうものなのでしょうか。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2011-10-29 07:25 | 海外 | Comments(0)
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