「天皇の軍隊と日中戦争」

 「天皇の軍隊と日中戦争」(藤原彰 大月書店)読了。職業軍人としての経験と反省から、現代史・軍事史研究に進み多くの業績を残した著者晩年の論文を集めたものです。また本人による回想や対談、荒井信一氏・江口圭一氏による追悼文も所収されています。論文のテーマとしては、日本軍の特質、「三光作戦」、中国山西省日本軍残留問題などです。
 日本軍の特質について、フランスの徴兵制との比較は興味深いものでした。後者はフランス革命によって解放され独立自営の農民が中心であり、彼らは革命によって成立したフランス国家を守ることは、解放された自分たちの身分と土地を守ることになるのを知っていたのですね。それだからこそ、自発的な戦闘意志と愛国心をもち、ナポレオン軍の連戦連勝を支えたわけです。しかし明治維新は独立自営の農民層を生み出さず、貧困な小作農民を再生産させただけであったため、彼らを徴集してつくった日本軍ではフランス国民軍にみるような自発的戦争意志を期待することは不可能でした。以下、引用します。
 自発性を持たない兵士を、近代的な散開戦術の中で戦闘に駆り立てるためには、命令にたいする絶対服従を強制する以外にはなかった。世界各国の軍隊に比べても、とくにきびしい規律と教育によって、絶対服従を習性になるまで訓練し、強制的に前線に向かわせようとしたのである。そのためには、平時から兵営内で、厳しい規律と苛酷な懲罰によって兵士に絶対服従を強制した。それは兵士に自分の頭で考える余裕を与えず、命令に機械的に服従する習慣をつけさせるまで行なわれた。兵営内の内務班生活での非合理な習慣や私的制裁もそのためであった。(p.3~4)
 このように日本軍隊自体が兵士の人権を認めないぐらいですから、占領下の敵国民の人権など認めるはずもありません。また抑圧された兵士は、その抑圧の捌け口をより弱い者である捕虜や占領下の民衆に向けることにもなります。いわゆる抑圧委譲ですね。そして中国人や朝鮮人への優越感と差別意識が政府によって国民に計画的に植えつけられたこともあいまって、残虐な行為が多発したと著者は述べられています。
 また、あまり知られていない問題なのですが、山西省日本軍残留問題についての論文も参考になりました。これは、1945年8月の日本の降服後も、中国山西省では北支那方面軍隷下の第一軍の一部が残留し、国民政府側の第二戦区軍(司令官閻錫山、通称は山西軍)に参加して人民解放軍(中国共産党軍)と戦った事件です。残留者の大部分は、命令によったので、現地除隊を志願した覚えなどないのだから、その期間も当然軍人の身分だったのだとして、軍人恩給や戦死者遺族への扶助料も支払われるべきだと主張し、政府は、当人たちは自分の意志で現地で除隊し、勝手に志願して山西軍に加わったのだから、その期間は日本軍人ではないとして、政府に責任はないと主張しています。これについては、1956年の未帰還調査部の報告によると、澄田軍司令官・山岡参謀長は戦犯追及を免れるために軍閥閻錫山と取引し、部下の将兵を閻の傭兵として引渡し、軍司令官としての責任を放棄して逃げ帰ったことがわかります。そして政府側はこうした旧軍高級幹部の態度を支持し、残留犠牲者を見捨てました。これも日本軍や当時の政府の体質を考える上で忘れてはならない事件だと思います。
 そして最も衝撃的なのが以下の指摘です。
 物資豊富な中国での食糧の現地調達に慣れた日本軍は、太平洋の戦場でも補給無視の兵力派遣をくりかえした。ガダルカナルやニューギニアでの大量餓死の悲劇は、兵力の生命の軽視のもたらした究極の姿である。アジア太平洋戦争における日本軍の死没者230万人の半数以上が、餓死か栄養失調を原因とする病死である事実を直視しなければならない。(p.11)
 これについては「餓死した英霊たち」(藤原彰 青木書店)という別書がありますので、いずれ機会をみつけて紹介したいと思います。
by sabasaba13 | 2011-11-10 06:15 | | Comments(0)
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