ポルトガル編(6):(04.8)

 観光の名所、駅、教会の入り口では、物乞いの姿もよく見かけました。新聞売りや靴磨きのように、街の雰囲気に自然となじんでいます。とりすがって施しを強要するわけでもなく、泣きながら同情を買うわけでもなく、淡々と佇みながら施しを待っています。ポルトガルの人たちも、ある人は新聞を買うように自然にコインを渡し、多くの人はその前を何気なく通り過ぎていきます。そういえば日本では物乞いの姿を見かけなくなりましたね。想像ですが、ファスト・フード店やコンビニの残飯で暮らしていけるようになったからでしょう。ポルトガルではそういう状況がないのか。あるいは残飯があっても、あえて物乞いという生き方を選択しているのか、社会が物乞いという存在を必要としているのか。そのあたりはよくわかりません。ただ乞食や物乞いは、大きな文化史的な意味を持っていると思いますので、この問題は頭の引き出しに仕舞っておきましょう。山折哲雄の「乞食の精神誌」(弘文社)を読み返してみようかな。
c0051620_19342267.jpg


 本日の一枚は、ポルトのノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院から見下ろしたドウロ川とドン・ルイス1世橋です。エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェル作の橋梁です。
c0051620_19343863.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-07 10:21 | 海外 | Comments(2)
Commented by いつもこころにEUROPA at 2005-07-11 23:28 x
 こんばんは♪
 モンサラース、こういう何もない村に行くことは、私たちにとってとても勇気が必要なことです。オビドスには行けても、モンサラースに行くプランは頭の中にありませんでした。何もないから、『人』が浮き彫りになる割合が高くなりますよね~~。sabasaba13さんの旅行記を読むと、やっぱりモンサラースも行ってみたい!と思いました。

 ポルトガルの物乞いの人たちは全然がつがつしていなくて、ある意味拍子抜けしました。あれだけ優しい人々に囲まれていれば、がつがつしなくても十分生きていけるのだと解釈しましたが、案外福祉が充実しているのでしょうか。体の不自由な人には、優先的に『路上で宝くじを売る権利』を与えているようですし。

 ノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院……。私は行けませんでしたが、ここからの景観は、本当に素晴らしいですね。この修道院、他の教会などと同じように、一般観光客にも公開されているのですか?また、今でも修道士が生活しているのでしょうか?
Commented by sabasaba13 at 2005-07-12 20:31
 こんばんは。何かある所に行くと、その何かを見て写真を撮っておしまい、Q.E.D.となりがちですね、私の場合。気をつけてはいますが。精神を活性化させるためにも、時々何もない所に行って何かを見出そうとしたり、あるいはぼーっとするように心がけています。そういう意味でモンサラスは究極の場所でした。お勧めです。

 ノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院では、修道士を見かけたような気がします。謂れはわからないのですが、軍が管理しており公開されています。入場料を入口で払うと、兵士が一人付き添って屋上まで案内してくれました。監視しながらいつでも発砲するぞという雰囲気ではなかったですけれど。ここからの眺望は素晴らしいですね。写真の通りです。橋のたもとからエッチラオッチラ坂道を歩いて上って十数分のところにあります。
<< ポルトガル編(7):(04.8) ポルトガル編(5):(04.8) >>