観光の名所、駅、教会の入り口では、物乞いの姿もよく見かけました。新聞売りや靴磨きのように、街の雰囲気に自然となじんでいます。とりすがって施しを強要するわけでもなく、泣きながら同情を買うわけでもなく、淡々と佇みながら施しを待っています。ポルトガルの人たちも、ある人は新聞を買うように自然にコインを渡し、多くの人はその前を何気なく通り過ぎていきます。そういえば日本では物乞いの姿を見かけなくなりましたね。想像ですが、ファスト・フード店やコンビニの残飯で暮らしていけるようになったからでしょう。ポルトガルではそういう状況がないのか。あるいは残飯があっても、あえて物乞いという生き方を選択しているのか、社会が物乞いという存在を必要としているのか。そのあたりはよくわかりません。ただ乞食や物乞いは、大きな文化史的な意味を持っていると思いますので、この問題は頭の引き出しに仕舞っておきましょう。山折哲雄の「乞食の精神誌」(弘文社)を読み返してみようかな。
本日の一枚は、ポルトのノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院から見下ろしたドウロ川とドン・ルイス1世橋です。エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェル作の橋梁です。