隠岐編(8):西郷(10.9)

 船から降り、ターミナルビル内にあった「かっぱ遊覧船」の顔はめ看板を撮影。そしてすぐ近くの隠岐ビューポートホテル一階にある観光案内所で観光パンフレットをもらいました。こちらでいただいた「隠岐の島後の西郷港 あんきに(おき楽)散歩してみさっしゃい(ください)」(あー長い)という西郷の観光地図は出色の出来ですね。手書きなのですが、正確な地図、島後の風俗や郷土料理、面白い物件、そして何とフェイス・ハンティングまで載っています。
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 ん? 隠岐騒動記念碑? 隠岐騒動、おきそうどう… 記憶のどこかにひっかかっているのですが、思い出せません。解説を引用します。
 徳川幕府が倒れ、日本に新しい時代が訪れようとしていたその時、隠岐は政府にも藩にも属することのない独立国になりました。それはわずか80日間のことでしたが、島民自らが考え、話し合い、行動をおこし、自治政府を作り出したのです。この事件を一般に「隠岐騒動」と呼びます。
 幕末、四方を海に囲まれた隠岐には度々外国船が現れました。しかし、島を統治していた松江藩の外国船への対応はお粗末なもので、島民は島は自ら守らねばならないとの思いを強くしていきます。
 次第に松江藩への反感が高まる中、隠岐出身の儒学者・中沼了三の説く尊王攘夷論に影響された島民が牽引役となり、1868年3月19日、3000人もの島民が決起。松江藩の郡代に「六箇条の要求書」をつきつけ、島からの退去をせまりました。郡代はやむなく退去。一筋の血を流すこともなく、革命は成功しました。
 しかし、その後、太政官は松江藩に対し騒動の取り締まりを命じます。藩はただちに兵を島に送り、5月10日、激しい攻撃を受け、自治政府は幕を閉じたのです。
 「隠岐騒動」については様々な解釈がありますが、あの時代にどこよりも早く革新的な政権が樹立したことは、近代史において注目すべき事実だといわれています。
 ああそうだった、思い出しました。はじめての民衆による革命政権と言われるパリ・コミューンの三年前に、日本においても民衆による自治政府が生まれていたのでした。もちろん、実際の施策や将来のヴィジョンなどを検討しなければ、簡単に比較はできませんが。よろしい、ここは後ほど寄ってみることにしましょう。それでは島後観光に出発、既述のように定期観光バスはありませんので、タクシーを利用せざるを得ません。港で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、西回りコース4時間(19,600円)をお願いしました。多少のアレンジも可能ということなので、適宜事前に調べた物件にも寄ってもらおうと思います。
by sabasaba13 | 2011-12-02 06:25 | 山陰 | Comments(0)
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