隠岐編(9):国分寺跡(10.9)

 まず向かったのは億岐(おき)家、すぐ隣にある玉若酢命神社の宮司を代々務める旧家で、隠岐国造の末裔とも言われています。萱葺屋根の堂々としたお宅で、土間の柱には隠岐騒動の時につけられた刀傷が残されています。
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 こちらの宝物殿には、全国でもここにしか残されていなという駅鈴が二つ展示されていました。古代、全国にあった「駅」に置かれ、官人が駅馬を徴するとき、これを示して官人である証拠としたものですね。いやあこれは珍しい。以前の往復ハガキの意匠として使われていた記憶があります。他にも隠岐国倉印や小泉八雲愛用の双眼鏡が展示してありましたが、彼は隠岐に来島したことがあるのでしょうか。
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 そして隠岐の総社・玉若酢命神社へ、本殿は隠岐造といわれる独特なものだそうですが、社門の脇にある巨大な杉に目を奪われてしまいます。高さ29m、樹齢2000年といわれる「八百杉」ですが、何本ものつっかえ棒に支えられながら健気に屹立していました。これからも幸多からんことを祈りましょう。玉垣のところには、何を描いているのかようわからん顔はめ看板がありました。推測するに、この神社で行われる祭礼、「御霊会風流」の見所、八頭の神馬が馬付きと共に本殿に向かって駆け上がる「馬入れ神事」を描きたかったのではないかな。それにしても"ごりょうえ"に"ふりゅう"とは、古代の息吹きを感じさせてくれます。
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 そして国分寺跡・後醍醐天皇行在所跡へ。礎石しか残っていない廃寺ですが、運転手さんの説明によると、廃仏毀釈によって伽藍はすべて焼かれてしまったそうです。いただいたパンフレットによると「明治二年四月 王政一新県知事(県令?)として九州久留米から真木直人が赴任以来万事改革の世となり、徹底的に行われ、隠岐全島でおよそ100余りの寺院迫害は目にあまるものがあり、伽藍・仏像・仏具・寺宝などの棄毀焼失はもとより寺院財産没収などに及んだ。」とあります。久留米? 真木? 禁門の変の中心となったあの真木和泉と関係がある人物なのかな。今調べてみたところやはり弟でした。
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 それはさておき、ここ隠岐における廃仏毀釈はそうとう苛烈だったようで、境内には無惨に破壊された石仏が山のように積まれていました。それにしてもその理由は… 国学思想や尊王論の強い影響、支配者の爪牙となった僧侶への反感、いろいろと考えられますがいまひとつ腑に落ちません。ご教示を乞う。そして元弘の変で配流された後醍醐天皇の行在所跡という大きな石碑がありました。なお島前の西ノ島にも、彼が住んでいたという黒木御所跡があるそうですが、どちらが本当なのかは決着がついていないそうです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-12-05 07:29 | 山陰 | Comments(0)
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