隠岐編(12):大城遺跡(10.9)

 さてこれで本日のルートは終わりですが、私が少々歴史に興味を持っていることを察してくれたのか、運転手さんは最後に四隅突出墳に連れていってくれました。これは嬉しいオファーですね、実は私、実物を見たことがありません。西郷しないからすこし離れたところにある体育館の隣に、その大城遺跡四隅突出型墳丘墓がありました。解説のプレートによると、弥生中期~後期の墓制の一つで、方形・台状の墳丘の四隅がヒトデのように突き出ているところからこの名称がつけられました。その発生は 中国地方山間部で、その後山陰沿岸部、そして北陸地方に広まっていきましたが、分布が限られていることとその特異な形状から多くの謎を秘めているそうです。残念ながら三分の一ほどが欠落しているのですが、そのユニークな形ははっきりと視認できました。それにしても不思議な古墳ですね。
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 ここでもう一つ嬉しいオファー。「すぐ近くに、日露戦争で亡くなったロシア兵のお墓がありますよ」 なぬ、それは是非見てみたい。体育館のすぐ近くにある墓地の中をすこし歩くと、古めかしく無骨な石の十字架に「日本海海戦 露國軍人墓 隠岐國在郷軍人會建之」と刻んでありました。解説によると、日本海海戦の後、ここ隠岐に漂着したロシア兵八人の遺体をここに埋葬供養しました。その後荒れ果てていたのを、老人クラブや有志の方々が1969(昭和44)年に整備されたそうです。そこに刻まれている「霊界に国境なからん」という一文がいいですね。政府に給料をもらっていた兵士しか祀らないどこかの神社の関係者諸氏に聞かせてあげたい。
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 そして車に乗り込み、西郷港に到着。だいたい四時間の行程でした。運転手さんに料金を支払い丁重にお礼を言ってお別れ。それでは「隠岐の島後の西郷港 あんきに(おき楽)散歩してみさっしゃい(ください)」を片手に、西郷の町を彷徨することにしましょう。なお西郷にはレンタサイクルがありますが、時間の関係上、今回は徒歩での散策です。港の近くには「竹島は今も昔も隠岐の島」「竹島!かえれ島と海」という大きな看板がありました。そうか、日本側の主張では、竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属しているわけだ。この問題についてコメントする能力も知識もありませんが、両国で仲良く漁業をするというわけにはいかないのでしょうか。そして「水火災記念碑」を拝見、西郷は何度も大火にみまわれていますが、特に1888(明治21)年の大火は水害と重なり大きな被害が出たそうです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-12-11 06:15 | 山陰 | Comments(0)
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