隠岐編(18):摩天崖(10.9)

 そろそろ集合時刻、バスに戻りましょう。おっ駐車場のわきに石碑があるぞ、とりあえず撮影して、バスの中で確認してみました。「凍てるシベリアに、故郷の海鳴りが聞こえる ろんろん ろんろんと 過酷な抑留生活に耐えながら、人間らしく生きることの大切さを自ら示した山本幡男。その生きざまを顕彰し、シベリアで亡くなった七万人同胞の鎮魂と、永遠の平和を祈念するものである。」という解説文があり、その脇に「山本幡男顕彰之碑 瀬島龍三敬書」という記念碑が建っていました。瀬島龍三…
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 一瞬、体に電流が走りました。まさか隠岐で彼の名を目にするとは… ウィキペディアに準拠して彼の履歴を簡単に紹介しますと、瀬島龍三(1911- 2007)、大日本帝国陸軍の軍人、日本の実業家。陸軍士官学校第44期次席、陸軍大学校第51期首席。大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長。しかし、内村鑑三風に言わせていただければ、近現代における「代表的日本人」として心と頭に銘じたい方です。詳細については、『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(共同通信社社会部編 新潮文庫)を是非読んでいただきたいのですが、巻末の船戸与一氏の秀逸な解説をもとに彼という存在について紹介したいと思います。抜群の成績で陸軍士官学校・陸軍大学校を卒業して参謀本部に入り、作戦参謀としてマレー作戦、フィリピン作戦、ガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦、インパール作戦、台湾沖航空戦、捷一号作戦、菊水作戦、決号作戦、対ソ防衛戦を指導しました。言わば軍事テクノクラートとして軍の中枢に君臨し、事実上、大本営命令によって陸軍を動かした人物だったのですね。後輩参謀の田中耕二は「このころ対米戦のあらゆる情報が瀬島さんの元に集まっていた。瀬島さんが起案した作戦命令には、上司もうかつに手を入れられない雰囲気があった。僕らには彼の発言は天の声のように思えた」と証言しています(p.128)。また元参謀の山本筑郎が、瀬島に大本営命令の書き方を尋ねると「瀬島さんは『大本営命令は第一項に敵情を書かず、ずばり天皇の決心を書く。天皇は敵情などで決心を左右されないからだ』と言った。なるほど大本営参謀は作戦命令を起案することで天皇と同格になり、強大な権限を持つんだと納得したよ」と回想しています(p.129)。その後関東軍参謀として敗戦を迎え、シベリアに連行され、十一年間の抑留生活を送ります。前出の山本幡男とはこの時に出会ったのですね。帰国後、元陸軍中将・本郷義夫の紹介によって伊藤忠商事に入社、参謀時代の人脈をフルに活用して、インドネシア賠償ビジネス、日韓条約ビジネス、二次防バッジ・システム・ビジネスを成功させ、それにともない田中角栄や中曽根康弘といった大物政治家との繋がりを深めていきます。そして伊藤忠商事会長になりビジネスマンとしての階段を駆け昇るとともに、政界フィクサーとしても底知れない力を貯えていきます。1995年、軍事史学会の特別講師として招かれた彼は、自衛官の前で次のように語ります。「日本は、少なくとも対英米戦争は自存自衛のために立ちあがった。大東亜戦争を侵略戦争とする議論には絶対に同意できません」 享年九十五歳。
 船戸氏はこう述べておられます。「アジア諸国の二千万の死。日本人三百万の死。これについて瀬島龍三の真摯な発言は聞かれない。要するに、この膨大な死者については彼のこころに触れることがないのだろう。したがって責任の問題は脳裏に浮上して来ることもない。徹底したプラグマチストにとって数字はただの数字なのだ。それは次のステップのための予備知識に過ぎないだろう」(p.434) 他者の痛みや苦悶に対する想像力の恐るべき欠落。その結果として、他者を犠牲にすることを一顧だにせず己の栄達を怜悧に追い求めるとともに、たとえ失敗したとしても責任を一切感じずまた責任をとろうとしないメンタリティ。その一方で身内や知己に対して示す優しさと思いやり。多かれ少なかれわたしたちが有しているこうした思考/行動様式を、見事なまでに体現しているのが瀬島龍三という人物だと思います。よって近現代における「代表的日本人」と称したわけです。そしてこれが日本をアジア・太平洋戦争へと導いた内的要因だと考えます。なお故加藤周一氏は「春秋無義戦」(『夕陽妄語Ⅳ』 朝日新聞社)の中で、閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別が戦争を導いたと述べられていますが、それと一部重なります。そして氏は同書において「直接の(※戦争)責任は、若い日本人にはない。しかし間接の責任は、どんなに若い日本人も免れることはできないだろう。彼または彼女が、かつていくさと犯罪を生みだした日本文化の一面と対決しないかぎり、またそうすることによって再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうとしないかぎり」(p.77)と論じられています。アジア諸国との真の和解がなされ、"東アジア共同体"とでも言うべき枠組みがつくられれば、尖閣諸島や竹島問題、米軍基地問題などのアポリアを解決するための大きな一歩が踏み出せるのではないでしょうか。その大前提が、われわれの内なる瀬島龍三的なるものと向き合い、これを乗り越えることだと思います。
 余談ですが、ウィキペディアで彼に関する記事を読んでいると、興味深い一文を見つけました。実業家・フィクサーである田中清玄によると、昭和天皇から次のような話を直接聞いたとのことです。「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵たちを咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に亘ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」 真偽のほどは分かりませんが、もし事実だとしたら、ほぼそのまま御本人に献上したいですね、「あなたもそうだ」と。推測ですが、瀬島に対する近親憎悪的な思いから、このようなやや感情的な発言をしたのかもしれません。また、日本の一般市民やアジア諸国の犠牲者への言及がないという点も注目。誰の発言であるにせよ、瀬島龍三的なるものをたっぷりと内に抱え込んだ人物によるものでしょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-12-17 06:15 | 山陰 | Comments(0)
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