ベン・シャーン展

 通勤のため、某私鉄の某駅を利用しておりますが、展覧会のポスターが何枚も並べて貼ってあり重宝しております。でも「ゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤゴヤ」にはさすがにぶっ魂消ましたが。
 そんなある日、新しく貼ってあったポスターを見て体が凍りつきました。ベン・シャーンだ… その線、そのタッチ、見紛うはずがありません。三十年ほど前ですか、今はなき池袋の西武美術館で実物を拝見したきりご無沙汰しております。幸い、「ここが家だ」(絵ベン・シャーン 構成・文アーサー・ビナード 集英社)という素晴らしい絵本で、「ラッキードラゴン・シリーズ」を見ることができるのですが、やはり実物を見たいもの。よし行こう、と周囲の視線を気にしながらホームで小さなガッツポーズをつくり、美術館を確認すると…神奈川県立近代美術館葉山館。家に帰りインターネットで調べたところJR逗子駅からバスで二十分か、遠いなあ。でも行くぞ、受領は倒るるところに土をもつかめ、せっかく葉山まで行くのですから途中で三渓園に寄り道をしましょう。ちょうど紅葉が見ごろのようです。そして帰宅する前に、未踏の園、椿山荘にも立ち寄ることにしました。
 師走のある天気の良い日曜日、三渓園は大混雑が予想されるので、午前9時の開門と同時に入園できるよう早めに出発しました。湘南新宿ラインに乗って横浜で根岸線に乗り換え、根岸駅に到着したのが午前八時半。そしてバスに乗って本牧で下車、ここから七分ほど桜道を歩けば正門に到着です。詳細については後日掲載するつもりですが、春草廬(しゅんそうろ)という茶室のあたりがいい風情でした。
ベン・シャーン展_c0051620_6154750.jpg

 そしてバスで根岸駅に戻り、大船で横須賀線に乗り換えて逗子駅に到着。ここからバスに乗ること二十分弱で神奈川県立近代美術館(葉山)に着きました。海沿いに建つ白いモダンな建物ですね、ん? テラスのあたりで人だかりがしています。据え膳…もといっ、"何でも見てやろう"という小田実的精神で近づいてみると、おおっ、そこには海越しに富嶽がくっきりと浮かび上がっていました。"あらひざらした浴衣のやうな富士"と言いたいところですが、やはり綺麗なものは綺麗です。写真を撮りまくってしまいました。
ベン・シャーン展_c0051620_6161548.jpg

 そして入館、まずはスーパーニッポニカ(小学館)から、彼の横顔について引用します。
Ben Shahn (1898-1969)
20世紀アメリカが生んだ典型的な社会派画家。絵画とレタリングを組み合わせた新しいイメージをつくった。リトアニアのコブノに生まれ、1906年ニューヨークに移住。13年からリトグラフの徒弟修業についたほか、ニューヨーク大学などで学ぶ。32年、サッコ・バンゼッティ事件とトム・ムーニー事件を扱った連作を発表して一躍注目される。30年代から40年代にかけて、画家、デザイナー、写真家として活動し、壁画、ポスターなどを制作。第二次世界大戦後も精力的な制作が続き、国際展、個展などの発表が多くなり、そのかたわらハーバード大学などで連続講演を行っている。60年(昭和35)には来日して第五福竜丸事件による連作を描いたことは知られている。
 彼の業績は大別して二つあり、一つは社会意識を絵画的造形に引き付けた方法論を開発したことであり、もう一つは文字を絵画表現の有力な手段として駆使したことにある。
ベン・シャーン展_c0051620_6165475.jpg それでは胸をときめかせながら展示室へ。それにしてもなんて魅力的な線なのだろう。ごつごつ、とげとげ、びしびしと、まるで彼の気持ちがそのまま表れているような、武骨だけれども優しい、でも断固とした線です。アーサー・ビナード氏によると、シャーンは晩年にこう振り返っているそうです。"石版工として、石の抵抗に負けず、迷いもブレもなく線を彫り込むことを覚えた。そののち美術学校で勉強して、さまざまな画法を試して、たくさんの絵を描いたが、強い線を手放そうとはしなかった。線の力が、もはや自分の気質の一部になり、毛筆で描くときでも、私は石に刻む線を描いている"(前掲書p.51) 納得です。そして彼が描く市井の人々の魅力的なこと。それまでドレフュス事件や、イタリア系移民で無政府主義者だったサッコとヴァンゼッティの冤罪事件、サンフランシスコで起こった労働者の冤罪事件であるトム・ムーニー事件など社会的な不正を描いてきた彼が、こうした普通の人々を描くようになったのにはあるきっかけがあったそうです。1935年から38年にかけて、農業安定局(FSA)が行ったプロジェクトに写真家として参加したことで、シャーンは大きく変わります。時は大恐慌の直後、フランクリン・ローズヴェルト大統領は農村復興を企図し、議会と世論を説得する材料として窮乏する農民の写真を収集させたのですね。アメリカ南部・中西部を旅行しながら6000枚にもおよぶ農民たちの写真を撮影していくうちに、彼はこう考えるようになります。"当時私はアメリカの国内のいたるところを歩きまわり、あらゆる種類の宗教や気質をもった多くの民衆を知るようになった。こういう信仰や気質を彼らはその生活の運命に超越し、無関係にもち続けているのだった。社会的な『理論』はかかる経験の前に崩れ去った"(カタログp.57) 以後、彼は政治や具体的な事件ではなく、"人間"を描くようになります。農民、移民、貧民といった社会的にくくられた人間ではなく、どこにでもいる、あなたでもあり私でもありえるような"人間"を。寝ころぶ子どもたち、写真屋、抱擁する二人、固く握りしめた拳と腕に顔を埋め絶望する男。その思いをシャーンはこう語っています。
 人間や人間を取り巻く環境について、芸術が知り、形にするべきものはまだ多くある。こうした努力の積み重ねがニューマニズムを復活させるだろう。完全な機械化と水素爆弾のこの時代に、私自身、この目標は最も重要だと感じている。(カタログp.195)
 その思いが見事に結実した傑作が、第五福竜丸事件をテーマとした『ラッキードラゴン・シリーズ』だと思います。展示されていたのは、《病院で》《出航》《彼らの道具》《サンゴ礁の怪物》《降下物》《死んだ彼》《写真家》《船主》《ペンを持つ手》《なぜ?》《ラッキードラゴン》。竜として寓意された放射能が、普通の人々の日常に襲いかかり死に至らしめるまでを、インク、墨、テンペラ、グワッシュなど、さまざまな技法を駆使して描いた連作です。彼の言に耳を傾けましょう。
 サッコとヴァンゼッティの一連の作品を描いたとき、またムーニーの連作のときも、私は新聞の写真や切抜きを見てとても丁寧に細部描写をしました。しかし日本の福竜丸の絵では、もはやそうした資料による裏づけの必要を感じませんでした。乗船していた無線技師―この人は放射能中毒によって亡くなりましたが―は、あなたや私のようなふつうの人でした。私はもう、その技師自身を描く必要などなく、私たちを描けばよいのだと思いました。無線技師の妻を慰めている人は、苦悶のうちに在る女を慰めるひとりの男です。子供と遊んでいる無線技師は、自分の子と遊ぶひとりの父親です。そしてこの事実に最初に気づいた日本人のノーベル賞物理学者は、ひとりの物理学者です。他のどの科学者でもありえました。私はもはやその科学者を正確に描写する必要を感じませんでした。これら6枚の絵すべてに忍び寄る獣の脅威は、今も私たちに付きまとっているのです。(カタログp.61)
 《ラッキードラゴン》という絵には、目が釘付けになりました。病院のベッドに座る、極端にデフォルメされた身体の男。人間のものとは思えない泥のような肌、シーツを固く握り締める左手。怒り、悲しみ、寂しさ、あきらめ、どう表現していいかわからない表情、しかし顔の造作に特徴はなく、誰であるかは特定できません。そして彼のすぐ横でうごめく一匹の小さな竜、心なしか嬉々とはしゃいでいるように見えます。右手が持つカードには、英語で「私は久保山愛吉、生年月日は…」と彼のプロフィールが書いてあります。そう、このカードの名を書き換えれば彼はベン・シャーンであり、私であり、あなたでもあるのです。そして《ペンを持つ手》は、ペンを握るたくましい手のクローズ・アップ。いろいろな人の思いに共感し、絵として昇華し、世界中の人々に共有してもらう、それが私の仕事だと力強く宣言しているようです。
 そしてこの作品が所蔵されているのは…福島県立美術館。息を呑み、立ちすくんでしまいました。今度はわれわれの手で、あの禍々しい竜たちを呼び起こしてしまった場所です。「過ちは二度とくりかえしません」という誓いも、「私を最後にしてほしい」という久保山さんの願いもふみにじってきた日本の国家と社会。原発事故によって汚染された大地と水と空と人間。ほとぼりがさめるのを待って、原発利権にまた群がろうとする電力会社や関連企業・官僚・政治家・学者・メディア。シャーンの志を引き継いで、「ラッキーアイランド・シリーズ」をさまざまな形でつくり続け、今度こそこうした過ちを二度とくりかえさないよう記憶に刻みつけ、そしてこの経験を全世界の人々に共有してもらうこと、それが私たちの責務だと思います。最後に彼の言葉を引用して、ペンを置きます。
 「社会的活動」についてのあなたの質問にお答えするにあたって、まず、自分が軍縮の熱烈な支持者であることを表明したいと思います。そして、いかなる国によるにせよ、あらゆる原子兵器の実験に断固として反対です。この感情は、地球が、結局はそのうえに住むあらゆる人々のものである、ということなのです。したがって、どんな人間も、またどんな人間のグループも、地球のどの部分にせよ、それを生存不能の場に化する権利をもっていません。同じ論旨によって、どんなひとにも、どんなグループにも、地球の食物をだめにしたり、地球の空気をよごす権利はないのです。これはあまりにも基本的な人間の法則なのですから、これに疑いをはさむのは半分堕落しかけた一部の人間でしかありえないとわたしは思います。(カタログp.58)

by sabasaba13 | 2011-12-22 06:17 | 美術 | Comments(3)
Commented by Adebayo at 2011-12-22 19:39 x
素敵なページなのでピンスパイヤーというサイトにピンさせていただきました。<a href="http://www.pinspire.jp/pin/show/178520">http://www.pinspire.jp/pin/show/178520</a> 好みのサイトをいっぱいアップしてみんなで楽しんでます。<a href="http://www.pinspire.jp/board/show/27823">散歩の変人 : ベン・シャーン展</a> すごく面白いですよ。興味があったら見に来てください。
Commented by 松林良政 at 2018-01-28 22:57 x
ヒューマニズムと言う点で今日恵比寿東京都写真美術館で観て来たユージン・スミス写真展のメランコリックな医師の姿に本ベン・シャーンのタッチを想わず連想しました。シャーンはアメリカ絵画の国民的スターだからきっとスミスの作品にも大きな影響があった様な気もしてきた…。
Commented by sabasaba13 at 2018-03-21 08:35
 こんにちは、松林良政さん。「ユージン・スミス展」は私も見てきました。https://sabasaba13.exblog.jp/28993577/ コメントにありました「カントリードクター」の写真を思い出すと、たしかにベン・シャーンの影響があるような気がします。彼が撮った素晴らしい写真が、同時代のカメラマンたちに大きな影響を与えたことと思います。
<< 「石子順造的世界」 セガンティーニ展 >>