さてそれでは東京駅へと戻りましょう。途中で坂下門が見えました。そう、坂下門外の変の舞台ですね。桜田門外の変の後、幕威を取り戻すため和宮降嫁など公武合体政策を推進した老中・安藤信正に反発した尊皇攘夷派の水戸志士らが彼を襲撃した事件ですね(1862)。安藤は背中に軽傷を負いましたが、城内に逃げ込んだため、襲撃は失敗。相次ぐ幕閣の襲撃事件は幕府権威の失墜を加速することになります。彼らも、天皇の尊厳を利用しようとした方々なのでしょう。外苑をとりまく歩道の足下には、各都道府県の県花を描いたプレートがはめこんでありました。北海道はまなす(※正確には"はまなし"、武田泰淳の『ひかりごけ』で知りました)、青森りんごの花、岩手キリ… もしや48都道府県すべての県花が皇居のまわりに跪いているのでしょうか。現代版国見ですね、これも天皇に尊厳を保持させるための装置の一つかな。
そして外苑の注意書きの膨大なこと、驚き桃の木山椒の木でした。中でも目を引かれたのが「一 許可を必要とする行為 …2 集会を催し、又は示威行動をすること」という一節。
天皇制の利用者、支配者、権力者、管理者(ウォルフレン氏曰く"administrator")、何と呼べばいいのかわかりませんが、彼らが私たち人民の集会と示威行動を心胆寒くなるほど恐れていることがわかります。江戸幕府も、明治政府も(五傍の掲示に"何事ニ由ラス宣ラシカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ徒党ト唱ヘ徒党トシテ強テ願ヒ事企ルヲ強訴トイヒ…堅ク御法度"とあります)そうでしたけれどね。「徒党を組む」「示威行動」、人々がたくさん集まってある意思を表現する行為を示す言葉にマイナス・イメージが附せられるのも宜なるかな。だとすると、"自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ"という古代中国の言葉の通り、これを利用しない手はありません。そう、『書を捨てよ、町へ出よう』です。選挙と同じくらい、いやそれよりも有効かもしれない、政治をより良い方向へ変える重要な武器が非暴力的なデモと集会だと思います。ブラジル最大の社会運動「土地なき労働者運動(MST)」の指導者ジョアン・ペドロ・ステディレもこう言っています。「人民の行進は力の表現である…モーゼ以来」 ただ多くの人々の共感を集め、輪を広げていくためには、これまでの動員によるやり方を改める必要はあるでしょう。『
一人の声が世界を変えた!』(新日本出版社)という素晴らしい本の中で、伊藤千尋氏はこう述べられています。
デモは自己満足のためにあるのではない。周りの人に訴えが届かなければ意味がない。単に「政策に怒っている人々がいるのだ」ということだけを訴えたいなら、日本型のデモでもいいかもしれない。しかし、今の時代、他の市民に主張を理解してもらい世論作りをすることが重要だろう。さらにデモに参加している人は、周りの人々が無関心だと自分たちが孤立しているように思えて、これから運動をしていこうと思わなくなるのではないか。これでは次のデモの参加者が減り、組織する側も士気にかかわる。(p.31~32)
愉快で分かりやすくかつ強烈なメッセージを放つ手製のプラカードや仮装や演劇や音楽、誰でもその場で加われるような自由で楽しい雰囲気、あちこちで繰り広げられる議論、欧米で行われているようなそうしたデモができるといいのにな。学校の授業で「楽しいデモを組織する方法」「人目を引くプラカードの作り方」「よくアピールするパフォーマンス」といったカリキュラムがあればいいのですが、この国では未来永劫絶対にありえませんね。いや、やり方によっては変えられるかもしれません。