京都・奈良錦秋編(13):松花堂庭園(10.12)

 そしてふたたび外園を散策し、外へ出ようとすると、「吉兆 松花堂店」というお店が隣接していました。吉兆…松花堂…あっ松花堂弁当か! 気がつかなかった。さっそく山ノ神に報告すると、彼女曰く「松花堂と聞いた瞬間にピンときわたよ」 おみそれしました。解説を抜粋して引用しましょう。
 松花堂弁当の起源は、松花堂昭乗の使っていた物入れ(箱)でした。昭乗は近在の農家が作物の種入れなどに使っていた、田の字の形に仕切った物入れをヒントに、絵の具箱、茶会のたばこ盆などとして、色々な用途に利用していたと伝えられています。時代は下って昭和の初め、料亭「吉兆」の創始者湯木貞一が八幡を訪れた際、昭乗遺愛の四つ切箱を見て、試行錯誤のうえ懐石料理を盛り付け、弁当として世に広めたのが「松花堂弁当」の始まりだそうです。器は、縁を高くした四角の箱形で、かぶせ蓋があり、中は十字に仕切られており、それぞれにご飯や煮物、焼き物などを区別して盛り分けられるようになっています。十字に仕切られているところがポイントで、これは食材同士の匂いや、水分が混ざらないための工夫で、機能と見栄えの良さを兼ね備えています。
 今度は是非紅葉の盛りの頃に再訪し、松花堂弁当を味わいたいものです。なお要予約ですので、ご注意を。それでは駅へと戻りましょう。駅の近く、石清水八幡宮のある男山のふもとにも神応寺という紅葉の名所があるとのこと、門前まで行ったのですが、石段を上って散策する時間もないので泣く泣くカット。
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 なお他の見どころとして、流れ橋(上津屋橋)があります。また八幡市に縁が深い人物として、明治政府よるお雇いオランダ人技師、デ・レーケ(1843~1913)がいます。彼は日本初の近代的河川工事である淀川修築工事を行ったそうです。他にも木曽川、庄内川、吉野川、多摩川、木曽川等の河川改修にも深い関わりを持ちました。いずれも難工事のうえ、伴った妻・息子・義妹を病で次々と失うという不幸にも会いながら、誠実に仕事をこなしたデ・レーケ、忘れられない人物です。なお彼のお墓はアムステルダムのゾルフリート墓地にあるそうなので、いつか機会があったら掃苔に行きたいものです。
by sabasaba13 | 2012-04-23 06:17 | 京都 | Comments(0)
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