京都・奈良錦秋編(16):西芳寺(10.12)

 そうそう、千利休の次男少庵が再興、隠棲した湘南亭という茶室の脇には、「岩倉具視公旧蹟」という碑がありました。
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 へえ、岩倉具視と西芳寺か、どんな関係があったのだろう? 不思議なもので、帰郷後たまたま読んでいた大佛次郎の『天皇の世紀 (7)』に描かれていました。幕府に攘夷を迫るための方策として和宮降嫁を企てた岩倉は佐幕派と誤解され、尊皇攘夷派からの襲撃から身を隠すため西芳寺に潜伏します。
 貧しい公卿の間では代々、苦しい生活の口減らしの手段として子供を寺に入れる方法が普通に用いられた。この西芳寺の住持神湫(しんしゅう?)がまた、具視の父岩倉具慶の猶子だったから情を明かして置いて貰うのに好都合であった。(p.333)
 なるほど、そういうことだったのか。「天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつける」方法を考案したのは彼だったのかもしれません。そして急な坂道をのぼると、上段にあたる枯山水の石組中心の枯山水庭園です。池も鑓水も木立もない寂漠とした空間に、大地から今生まれ出でたような石群が寄り添うように佇んでいました。平安期の『作庭記』には、枯山水とは「池もなくやり水もなき」所に「石をたつること」とあるそうですが、まさしくその通り。森閑とした趣をしばし楽しみました。そして坂道をおりて再び本堂へと戻り、松尾大社に向かいましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-26 06:20 | 京都 | Comments(0)
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