「雑文集」

 「雑文集」(村上春樹 新潮社)読了。村上春樹氏が、授賞式などで行なった挨拶や、未収録の随筆などをおさめた一冊です。謙虚な氏のことなので、"雑文"と謙遜されていますが、どうしてどうして。形式にとらわれず、随所に氏の考える文学論・小説論・小説家論がちりばめられています。例えば、次の一文はいかがでしょう。
 でも少なくとも文学は、戦争や虐殺や詐欺や偏見を生み出しはしなかった。逆にそれらに対抗する何かを生み出そうと、文学は飽くことなく営々と努力を積み重ねてきたのだ。もちろんそこには試行錯誤があり、自己矛盾があり、内紛があり、異端や脱線があった。それでも総じて言えば、文学は人間存在の尊厳の核にあるものを希求してきた。文学というものの中にはそのように継続性の中で(中においてのみ)語られるべき力強い特質がある。僕はそう考えている。(p.28)
 また賛否両論、話題となったエルサレム賞受賞式の挨拶ではこう述べられています。
 私が小説を書く理由は、前じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じます。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けているのです。(p.79)
 "人の魂を絡め取ろうとするシステム"と"人間の尊厳"、彼の小説を読み解く上で重要なキーワードのような気がします。それでは人間の尊厳とは何か。他の箇所を引用します。
 僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。(p.388)
 村上氏は、大事なものを探し求め続ける営みを「物語」と捉えているのだと思います。そして人間というものは、それぞれの固有の「物語」を持って生きている、かけがえのない、交換不可能な存在であると。そうした個々のささやかな「物語」の存在を許さず、大きな「物語」へと絡み取ってしまうのが"システム"ではないのか。私はそう読み取ったのですが、そう考えると、ナショナリズムや市場原理主義といった「大きな物語」が弥漫している現状がよく理解できます。あるいは、個々の小さな「物語」に孤立感や孤独感を感じて寂しくなり、大きな「物語」に救いを求める人もいるのかもしれません。これは私の思いつきですが。その個々の、小さいけれど大事な「物語」をつなぐのが小説の大切な役割だと、氏は考えておられるのではないかな。
 僕が小説を書くひとつの大きな目的は、物語というひとつの「生き物」を読者と共有し、その共有性を梃子にして、心と心とのあいだにパーソナルなトンネルを掘り抜くことにあるからです。あなたが誰であっても、年齢がいくつでも、どこにいても(東京にいても、ソウルにいても)、そんなことはぜんぜん問題ではありません。大事なのは、その僕が書いた物語を、あなたが「自分の物語」としてしっかりと抱きしめてくれるかどうか、ただそれだけなのです。(p.72)
 いろいろな文章を勝手に切り貼りして、私が考えた、村上春樹氏の文学論です。ご海容を。もちろん、他にも楽しくて深い随筆などが目白押しです。特に、氏の愛する音楽に関する文章に佳作が多いですね。J・S・バッハやセロニアス・モンクについて語った愛情に溢れるエッセイは忘れられません。個人的に、珠玉の一編を選ぶとすれば、かつてヤクルト・スワローズで活躍したデーブ・ヒルトンについてのエッセイです。忘れもしません、時は1978年、私が大学に入学した年でした。広岡監督率いる万年弱小球団があれよあれよと勝利を積み重ね、初優勝したのですね。投手は松岡(安田でもいいですが)、捕手は大矢、一塁は大杉、二塁はヒルトン、遊撃手は…ごめん忘れた、三塁は船田、レフトは杉浦、センターは若松、ライトはマニエル、思い出は美化されるにしても素晴らしいラインアップでした。中でもヒルトンには、うまく言えませんが不思議な魅力を感じていました。(たしかこの年の打率は0.317) その魅力を、過不足なく言葉にして届けてくれた忘れ難いエッセイです。たしか「ナンバー」という雑誌に掲載され、しばらく愛蔵していたのですが、引越しの際に紛失してしまいました。まさかこんなところで再会できるとは。それ以後、スワローズのファンとして日々の試合に一喜一憂しておりますが、これは私の小さな「物語」です。
by sabasaba13 | 2012-05-21 06:15 | | Comments(0)
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