グリンデルワルト編(27):パウル・クレー・センター(10.12)

 バスは旧市街を走り抜け、アーレ川を渡り、熊公園の前を通り過ぎ、十五分程郊外を走ると、おおっ、ゆあーんゆよーんゆやゆよんと三つ並んだ波型屋根が見えてきました。あれが2005年6月にオープンした、クレーの作品を4000点以上所有する「ツェントルム・パウル・クレー(パウル・クレー・センター)」ですね。設計は、パリのポンピドゥー・センターや関西国際空港旅客ターミナルビルも手掛けたイタリアの建築家レンゾ・ピアノ。なるほど、両方とも行ったことがありますが、ガラスをうまく利用するのが彼の持ち味のようですね。はやる心をおさえながら、いそいそと近づき、写真を撮影。
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 それではお待ちかね、いよいよ入館です。おっとその前にパウル・クレーについてスーパーニッポニカ(小学館)から抜粋して紹介いたしましょう。
 Paul Klee (1879―1940) スイスの画家。12月18日ベルン近郊ミュンヘンブーフゼーに生まれる。ドイツ人の父は音楽教師、スイス人の母は声楽家で、ひとり息子の彼は早くから音楽、絵画、文学に親しみ、器楽(バイオリン)を習う。1898年初めてミュンヘンに出て私画塾に通い、1900年ふたたび同地に出て美術学校のシュトゥックの教室で学んだ。
 …03~05年アール・ヌーボー風の幻想的な銅版画を制作、ブレーク、ビアズリー、ゴヤに共鳴する。06年ミュンヘンの女流ピアニスト、リリー・シュトゥンプフと結婚し、ミュンヘンに定住する。ミュンヘン分離派展に銅版画を出品、以後09年まで同展にガラス絵を含む作品を送るが落選を繰り返す。…カンディンスキー、マッケ、マルクと親交を結び「青騎士」のグループに参加する。
 …14年マッケ、モワイエとともにチュニジアへ旅行し、水彩で多くの風物を描く。「色彩がぼくをとらえた。ぼくと色彩とは一体だ」と日記に書いているのはこのときで、彼の色彩開眼を記念する旅である。以後彼は彩色画へ移っていくが、それはかならずしも既成のタブローではなく、さまざまの混合技法を用いている。…21年ワイマールのバウハウスで教鞭をとる。…ファイニンガー、カンディンスキー、ヤウレンスキーと「青の4人」展を結成。25年バウハウスの移転に伴いデッサウに住む。…31年デュッセルドルフ美術学校教授となる。33年美術学校の職を辞し、ベルンに帰る。…皮膚硬化症の最初の徴候が現れる。37年ブラックとピカソの訪問を受ける。「退廃芸術展」が彼の作品17点を含めてドイツ各地で催される。…病状悪化し6月29日ロカルノ湖畔ムラルトの病院で死去。
 入館料を支払い、まずは荷物を預けましょう。お金が戻ってくるタイプのコイン・ロッカーですが、その意匠が洒落たものでまるでモンドリアンの絵のようです。
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 そして子どもたちのためのワークショップを拝見。ガラスで区切られたいくつかの開放的な空間があり、作業机や椅子やいろいろな素材が置かれていました。ここで子どもたちが、アドバイスを受けながら作品を作るのですね。
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 その前にはボードによる迷路がつくられてあったので、さっそく入ってみました。ところどころのスペースにさまざまな仕掛けがほどこしてあります。いたずら書きのできる白い壁、パンチング・ボール、長椅子とモニター、覗き穴や匂いをかぐ穴、変身グッズ、ヘッドフォン、お菓子のカラフルな包装紙を自由に貼りつけられるコーナーなどなど。なるほど、これは楽しいですね、大人のわれわれでさえわくわくしてしまいました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-06-14 06:17 | 海外 | Comments(0)
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