「写真集 水俣」

 「写真集 水俣 MINAMATA」(W.ユージン.スミス/アイリーン.M.スミス 中尾ハジメ訳 三一書房)読了。一度は読み、そして見たいとずっと願い続けていた写真集ですが、正直に言って手に入れられるとはつゆにも思いませんでした。昨年水俣を訪れ、また彼の写真展を拝見し、あらためて入手したいなと、駄目でもともと、「日本の古本屋」というサイトで検索をかけてみたところ…ずらずらとあっけなく何冊も売られていました。手頃な価格で状態のよさそうなものを選び注文、そしてある日、待ちに待ったこの本が届きました。
 硬骨の社会派カメラマン、ユージン・スミスが日本の漁村を撮影したいと来日、水俣を紹介されその公害の実態に衝撃を受け、良き伴侶アイリーンとともに、1971年から75年にかけて水俣で暮らし、患者や家族の暮らしや戦いを文章と写真で綴ったフォト・エッセイです。圧倒的な迫力と存在感をもつ数多の写真から、彼の真摯で力強いメッセージがびしびしと伝わってきました。世界中の人びとが、水俣で起こっていることを知ってほしい、そしてそれは水俣だけの問題ではなく、公害や環境汚染は世界どこででも起こりうるし起こっているのだと気づいてほしい。同時に、困難な状況の中で人間の尊厳を求めて闘う水俣の人々の姿には胸を打たれます。その勇気と不屈を鮮烈にフィルムにおさめたユージン・スミスは、その姿が自分を、読者を、さらには世界中で脅かされている民衆を力づけ、やがては世界をよりまともな方向へと変えていく努力へと向かわせると確信していたのでしょう。彼はこう書いています。
 私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった。それはほかの脅かされた人びとを勇気づけ屈従を拒ませるのみならず、状況を正す努力へと向わせるものであった。(p.8)
 それでは水俣の人々の、そしてユージン・スミスの思いを、私たちはきちんと受け止めたのでしょうか。彼はこう書いています。「患者たちの憤怒は、患者たちだけでなく国中が感じるべきものだった。(p.85)」 また本書に併記されている医学報告の中で、先日逝去された原田正純氏はこう述べられています。「水俣病の医学的実態はもちろん、歴史の過程、事件史そのものを余すところなく白日のもとにさらして人類の教訓にしなければならない。それにしても犠牲が大きすぎた。それでもわれわれにはこの教訓を活かすことしかできることはない。(p.191)」 民衆の生命と生活を犠牲にして利益をあげようとする企業、それを陰に陽にバックアップする官僚と政治家。そして手と手を取り合ってなんとかして事態をごまかし責任から逃れようとする両者。水俣病と同じことが、今また、福島で繰り返されています。いいかげんに、こうした病理的な構造に気づき、勇気をもって屈従を拒み、そして状況を正す努力をしなければいけないと痛感します。最後にもう一つ彼の言を紹介します。
 歴史家は、水俣に新たな産業革命のもっとも健全な芽を見出すかもしれない。過去を振り返りながら、GNPの名のもとに汚染する神授権はないという最強の自覚がこの闘技場から生れ出たことを歴史家は発見するかもしれない。もし人類がこの惑星の世話役としてのほんとの責任をとろうと決意することがあるなら-歴史家たちは振り返り見るかもしれない。第一次産業革命とともにはじまった略奪からわれわれの子どもたちを救うかもしれない力、勇気という魂の力を。それは勝利だろう。(p.172)
 追記。本書には水俣病に関する詳細な年表がおさめられており、たいへん参考になりましたが、石原慎太郎環境庁長官(当時)の言動がいくつか目につきました。
1977(昭和52).2.21 申請者八派、石原環境庁長官の「ニセ患者」発言に抗議文を送る (p.182)
1977(昭和52).4.22 石原環境庁長官、水俣視察。若い患者の会、面会要求を拒否。若い患者の手紙に対し、長官「IQの低い人達が書いた文章」などと発言-のち問題化 若い患者の会など抗議 (p.183)
1978(昭和53).1.14 石原環境庁長官「若い水俣病は働く意欲が薄い」と発言。若い患者の会・申請協・患者連盟、問題発言として抗議文を郵送 (p.183)
 もう言葉もありません。弱者に対する侮蔑的かつ傍若無人な態度、国家権力に抗う者への敵意、こうした御仁がいまだに第一線で活躍できているという事実に刮目すべきでしょう。
by sabasaba13 | 2012-06-19 06:17 | | Comments(0)
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