瀬戸内編(5):一草庵(11.3)

 さてそれでは一草庵をめざしましょう、自転車にまたがりつーいと坂道を一気に駈け下り、道なりにペダルをこいでいると、某会社の前に「報徳の心」と刻まれた二宮金次郎像を見かけました。十分ほどで、自由律俳人・種田山頭火が放浪の果てに安住の地として選んだ場所、一草庵に到着です。
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 まずはスーパーニッポニカ(小学館)から、彼のついての紹介を引用します。
 種田山頭火 (1882―1940) 俳人。山口県防府町(現防府市)に生まれる。本名正一。幼時の母の自殺が山頭火の生涯に大きな衝撃を与えた。1902年(明治35)早稲田大学文科に入学したが、神経衰弱で退学して帰郷。父と酒造業を営むが失敗し、家は破産。山頭火は熊本市で額縁店を開くが、家業に身が入らず妻子と別れ上京。しかし、定職を得ず、熊本に帰る。酒におぼれ生活が乱れた。24年(大正13)市内の報恩寺で出家。法名耕畝(こうほ)。市外植木町の味取(みどり)観音の堂守となった。26年、行乞の旅を始め、山口県小郡の其中庵に住したが、行乞漂泊すること多く、諸国を巡り、40年(昭和15)松山市の一草庵で没した。
 周囲はきれいに整備されていて、彼の句碑が林立しています。①「春風の鉢の子一つ」②「鐡鉢の中へも霰」③「濁れる水のなかれつつ澄む」④「おちついて死ねさうな草枯るる」
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 建物は当時のままではなく、最近復元されたものです。土・日・祝のみ内部が公開されるとのことですが、たまたま中ではボランティアの初老の方々が催し物の準備をされており、招き入れてくれました。オリジナルの「一草庵」という扁額が保存されていましたが、揮毫は師である萩原井泉水でした。仏壇に合掌し、お言葉に甘えてお茶をいただき四方山話に花を咲かせました。東京における地震や原発の影響について話すと、「たいへんでしたねえ」と心から同情と共感をもって相槌を打ってくれました。そして地元の素朴なお菓子や手作りのしおりと絵葉書をお土産にいただき、もう恐縮するしかありません。縁側で靴を履いていると、「山頭火はこの眺めが気に入っていたそうです」とある方が指差す方向を見ると、松山城の天守閣が木の間に遠望できました。なお「不在中 郵便受 一草庵 種田山頭火」と記した紙箱の郵便受はぜひ復元してほしいですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-13 06:24 | 四国 | Comments(0)
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