瀬戸内編(7):道後温泉へ(11.3)

 そしてロープウェーで麓へ下り、ふたたび自転車にまたがって駅近くにあるホテルをめざします。途中で「夏目漱石假寓愚陀佛庵址」の碑を見物。愚陀仏庵(ぐだぶつあん)とは、夏目漱石が1895(明治28)年4月、松山中学校の英語教師として赴任した時の下宿で、正岡子規と共同生活をしたこともあったそうです。松山大空襲のために焼失し、現在では萬翠荘裏に復元されています。
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 次は「きどや旅館跡」、「坊つちゃん」で主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルであり、漱石自身も1895(明治28)年4月9日、赴任した際に宿泊しています。また、「坂の上の雲」によると、同年、江田島の海軍兵学校にいた秋山真之が正岡子規の病状を見舞った際に宿泊した旅館として描かれているそうです。
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 そして、何とも大仰な外観の愛媛県庁の前を通り過ぎました。ちょっと気になるので、今調べてみたところ、竣工は1929(昭和4年)で、設計は木子七郎。明治神宮絵画館に雰囲気が似ていますが、あちらの竣工は1926(大正15)年、影響を受けたのかもしれません。「軍服を着た建物」的フレーバーがあるので、帝冠様式と位置づけていいのでしょうか。ご教示を乞う。おっ気がつけばフェイクの煙を吐きながら疾駆する坊っちゃん列車と競争だあ! いいとこまでいったのですが、やはり勝ち目はありませんでした。
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 自転車を借りた市営駐車場に着き、自転車とワイヤーの鍵を返却しようとすると…鍵がついていない。あちゃー、やっちまっただ。どうやら走っている時の振動で鍵が脱落してしまったようです。申し訳ない、丁重に謝罪して弁償しようとしたのですが、すこし逡巡したあとにこにこと笑って受け取ってくれません。やむをえずご好意に甘えましたが、松山市民の親切さとホスタピリティには頭が下がります。さて、駅のコインロッカーから荷物を取り出し、予約をしておいた近くのホテルにチェックイン、荷物を部屋に置いて、いざ道後温泉本館へとまいりましょう。駅前から路面電車に乗って十数分で道後温泉駅に到着。
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 商店街をひやかしていると、幸運・金運を掴めるという「金のうんこ」を売っていました。もちろん買いませんでしたが。路地には昔懐かしい射的屋がありましたが。いいですねえ、これでスマートボール屋があれば言うことなし。電信柱には落し物のカメラケースがガムテープでぶらさげられていました。そしてさすがは松山、投句用紙と投句箱が道ばたに設置されています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-15 06:24 | 四国 | Comments(0)
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