「帰郷ノート/植民地主義論」

 「帰郷ノート/植民地主義論」(エメ・セゼール 平凡社ライブラリー)読了。本書の存在とエメ・セゼールについては、「〈新〉植民地主義論」(西川長夫 平凡社)に教示されました。感謝します。まずは平凡社のホームページから彼についての紹介文を引用します。
 エメ・セゼール 1913年西インド諸島のフランス領マルティニック島に生まれる。18歳でパリに渡り、高等師範学校に学ぶ。セネガルのL.S.サンゴールと出会い、1930年代、フランス植民地主義の同化政策を批判し、黒人存在の文化的・政治的尊厳回復を訴える「ネグリチュード(黒人性)」の思想を生み出した。ネグリチュードに到るまでの意識発展のドラマである『帰郷ノート』が、ブルトンらシュルレアリストたちに絶賛されただけでなく、『植民地主義論』等による西欧批判と、解放の思想を追求する詩、戯曲等は、現在も世界中で読みつがれている。1946年から93年までマルティニック選出フランス国民議会議員、2001年までフォール・ド・フランス市長を務め、政治家としても半世紀にわたってマルティニックを率いた。
 まずは、本書冒頭で、エメ・セゼールとの出会いを語ったアンドレ・ブルトンの言葉です。
 断然私は確信した。ある種のタブーが除かれない限り、つまり、彼岸への信仰-ますます腑抜けたものとなりつつあるが-、不条理にも民族、人種と結びつけられた集団意識、そして金の権力という汚辱のきわみ、こうしたものが流し続ける毒素を人間の血脈から除去することができない限り、何ひとつ成しえないであろうと。(p.14)
 人種主義・植民地主義という闇に否(ノン)と言い続けた男、エメ・セゼール。本書は彼の代表作である『帰郷ノート』と『植民地主義論』がおさめられています。まず彼は、ナチズムという至高の野蛮が、ヨーロッパ文明からの逸脱などではなく、その帰結なのだと厳しく批判します。ナチズムは、西欧キリスト教文明のありとあらゆる亀裂から湧き出し、浸透し、滴り落ち、ついには血の色に染まったその水面下に、その文明自身を呑み込んでしまおうとしている… そして彼らヨーロッパ人がヒトラーを赦さないのは、彼の行為そのものではなく、今まで有色人種に対してしか為されなかった行為を白人に対して行ったためである、と。
 彼らがヒトラーを罵倒するのは筋が通らない。結局のところ、彼が赦されないのは、ヒトラーの犯した罪自体、つまり人間に対する罪、人間に対する辱めそれ自体ではなく、白人に対する罪、白人に対する辱めなのであり、それまでアルジェリアのアラブ人、インドの苦力、アフリカのニグロにしか使われなかった植民地主義的やり方をヨーロッパに適用したことなのである。(p.138)
 そして植民地というものが、支配される側だけでなく、支配する側をもいかに毒し非人間化するか。土着の人々を侮蔑し搾取し、そうした行為を正当化し自らに免罪符を与えるために、相手の内に獣を見る習慣を身につけ、相手を「獣として」扱う訓練を積み、そして自ら獣に変貌していく。両者の間にはいかなる人間的接触もなく、あるのは支配と屈従の関係だけであり、その間には苦役、威嚇、抑圧、警察、課税、略奪、強姦、文化強制、侮蔑、不信、高慢、粗野、思考力を奪われたエリート、堕落した大衆しか存在しない。そしてこの関係は、植民地化する側の人間を一兵卒、曹長、看守、鞭に変え、原住民側の人間を生産のための道具に変えてしまう(p.147)。セゼールの警告は、さまざまな自然経済、調和のとれた持続的な経済、土地の人々の身の丈にあった経済の解体への危機感、そしてその結果生ずる「多様性の根幹」の破壊にまで及んでいます。
 この評論は1950年に発表されましたが、こうした植民地主義は消滅したわけではなく、今現在でも姿を変えより巧妙な形で再生産されています。特定の領土を政治的・軍事的に支配するという形ではなく、世界のいたるところに(もちろん先進国の内部にも)偏在・点在する植民地、そしてもはや人種だけでなく、資本を持たないすべての人間が、生産のための道具に変えられてしまう。私はそのように"グローバリゼーション"をとらえています。いかにして人間の獣化をくいとめ、多様性をとりもどすか。セゼールの言葉は強い光をはなって今も輝き続けています。
 『帰郷ノート』の一節です。
世界でただひとつ始めるに値すること、
世界の〈終わり〉だ、決まってる。(p.62)

by sabasaba13 | 2012-08-04 06:57 | | Comments(0)
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