京都観桜編(1):前口上(11.4)

 東日本大震災からほぼ四週間。被災地の想像を絶する惨状に胸が詰まり、収拾の目処がまったくたたない福島第一原発の状況に慄く日々でした。そしてあらためて、この日本を統治/管理している人間たちが人の命を鴻毛の如く軽視しているかを思い知りました。特に後者ですね。でも思えば、アジア・太平洋戦争、水俣病をはじめとする公害、一部の組織や人間の利権の為に人々の命と暮らしを踏みにじり、その度に国民が「騙された」と怒りすぐに忘却してきたのがこの国の近現代史です。そう考えると今回の原発事故も起こるべくして起こったのかもしれません。そしてまた忘却してしまうのか… いやもういやだ。この救い難い思考停止状態から抜け出す、これが最後の機会だと思います。そのためには、「日本は一つ」といったスローガンを鵜呑みにするのではなく、「日本は二つ」だという冷徹な現実を直視する勇気と知恵が必要でしょう。戦争や公害や原発で荒稼ぎをした人々と、その犠牲にされた人々。アンリ・バルビュスが『砲火』(岩波文庫)の中で語った言葉を借りれば(下p.182)、利用するものと困苦するもの、一切を犠牲にすることを、数を、力を、忍苦を、すべてを犠牲にすることを要求されるものと、その上を踏みつけてすすみ、微笑をうかべながら成功するもの。登場人物のヴォルパットはこう叫んでいます。
 国がひとつだなんて、嘘の皮だ…二つの国があるんだ。まったく赤の他人の二つの国に分れているんだ。向うの前戦には、不幸な連中が多すぎるし、ここの銃後には、幸福なものが多すぎる…
 利用し、踏みつけ、微笑み、成功する方々がむやみやたらと「愛国心」を声高に叫ぶのは、きっとこの「二つの国」という現実を隠蔽するためなのでしょう。
 前置きが長くなりましたが、こうした状況の中、以前から予定していた京都旅行に行ってきました。山ノ神が仕事のため同行できず、桜を訪ねての一人旅です。それに加えて、重森三玲のお庭めぐり(東福寺・瑞峯院)と、「文化遺産オンライン」で調べた京都市内の近代化遺産訪問もおりこみました。旅程は一泊二日、宿は京都駅前のホテル法華クラブ京都、御用達の京都サイクリングツアープロジェクトに予約を入れて自転車を二日間借り切ることにしました。ただ残念なことに、インターネットの桜開花予報を調べると、満開にはほど遠いようです。仕方がない、とりあえず一縷の望みをかけて「咲き始め・開花」状態のお寺さんをまわることにしました。平野神社、京都御苑、渉成園、円山公園、高台寺、醍醐寺、勧修寺、アサヒビール大山崎山荘美術館といったところです。開花の早い枝垂れ桜をピップアップするのも手かもしれません。ま、臨機応変、縦横無尽、神出鬼没、他力本願、いきあたりばったりでいきましょう。持参した本は金城一紀の『GO』(角川文庫)です。
by sabasaba13 | 2012-09-05 06:11 | 京都 | Comments(0)
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