『天皇の世紀』

 『天皇の世紀 (1)~(12)』(大佛次郎 文春文庫)読了。いつか読もう読もうと思いながら、諸般の事情…というよりは最初の一歩をなかなか踏み出せず(なにせ全12巻ですから)、徒に齢を重ねてきました。もうアラフィフは過ぎたし、そろそろ人生のバックストレッチも近づいてきたし、たまたま読みたい本が尽きたし、思い切って読み始めました。うん、予想通り噂通り面白うございました。浩瀚なる原史料を駆使し、それに忠実に基づいて激動の幕末・維新期を叙述した大作です。えてしてこの時代を描く小説は、旧幕府側か新政府側か、どちらかに肩入れ・思い入れをしてしまうことが多いのですが、是は是、非は非と、両者を平等・公正に扱っているのが印象的です。また司馬遼太郎氏のような著者の感情移入もあまりなく、抑制の利いた筆致も好感が持てました。時々、あまりにも長い原史料の引用には辟易させられましたが、できるだけ歴史を客観的に見ようという著者の姿勢だと考えれば、大きな瑕疵ではありません。己の不学を恥じながら、苦心して読み通しました。
 私の持つ史観に根本的なパラダイム・チェンジを迫られることはありませんでしたが、たいへん参考になる知見や史料にいくつも出会うことができたのは、市井のしょぼい一歴史学徒としては望外の幸せでした。例えば、尊王攘夷派が幕府の権威を失墜させるために、外交面での失点を重ねさせたという指摘など鋭いですね。つまり朝廷を動かして、幕府に対してもっとイギリスなどに強気で臨めと無理難題を突きつける。彼我の力の差を知悉している幕府は苦境に陥り、強硬な要求(ex.開港開市の延期)の代償として外国に有利な条件(ex.輸入税の引き下げ)を呑まざるをえなくなる。それによってまた幕府の権威は失墜し、尊王攘夷派にとっては思う壺となる。福地源一郎は「懐往事談」の中でこう激語しているそうです。
 幕府をして此延期を乞わしむるまでの地位に外交の事情を陥れたる者は誰ぞや。是は余に問うまでもなく今日維新の元勲たちに質さば分明たるべきなり。(③p.355)
 外交面での失点を負わせて権威を失墜させ、幕府倒壊に成功した維新官僚のみなさまがたです。明治新政府の外交政策が、その覆轍を踏まないように十分に留意したものになったことは理の当然ですね。劣位にある欧米に対しては失点となって権威が傷つかぬよう慎重な外交姿勢で臨み、その恐れがない清・朝鮮・琉球に対しては高圧的に打って出て国民の指示を得て威信を高める。日本の近代史を貫き、現代まで続くこうした外交姿勢の淵源はここにあるのかもしれません。
 また尊王攘夷派の武士の多くは浪人か自発的脱藩者で、段々苦しくなる封建社会からはみ出して、地位も任務も失った者が多いと指摘されています。しかし彼らは、まだ武士として名誉ある仕事を欲し、何かすることを探している。尊王攘夷運動を、「高慢な失業者の悶え」と喝破されたのには恐れ入谷の鬼子母神です。(③p.184) "憂国の志士"という陳腐なイメージはもう捨ててもいいのでは。
 しかし何といっても本書の白眉は、浦上四番崩れに関する叙述です。まず前者について「岩波日本史辞典」(岩波書店)に依拠しながら紹介しましょう。肥前浦上の隠れキリシタンは1790(寛政2)年、1842(天保13)年、56(安政3)年と三度の発覚・検挙事件(崩れ)があり、開国後に〈浦上四番崩れ〉が起きました。65(慶応1)年に大浦天主堂が建立され、宣教師とキリシタンが出会い、67年浦上のキリシタンは檀那寺の聖徳寺僧によらない自葬を敢行、長崎奉行所は検挙・投獄に踏切ります。外国公使らの抗議により外交問題化しましたが、幕府瓦解により明治政府に引継がれ、政府は69(明治2)年村預けになっていたキリシタンの西日本諸藩への総配流を断行。配流地では苛酷な弾圧が加えられますが、諸外国の抗議や、弾圧が条約改正の障害になることから、帰村させることになりました。ではなぜ明治政府は弾圧を行ったのか。新政府は天皇の他に頼るべき権威がないことを自覚していたので、神道国教化政策を実施しようとします。その際、思想の体系も経典もない神道とはどのような宗教であるかが判然としません。そこで彼らは、ただ取りとめなく天皇を神として崇め、他の宗教を排除・弾圧すれば人心を統制できると信じたというのが著者の分析です。浦上切支丹はそのスケープ・ゴートにされたのですね。
 しかし彼ら/彼女らの多くは改宗を拒否します。中でも、浦上村本原郷の仙右衛門は、烈火の如き信仰と論理的な反駁、そして御上という権威に屈服しない態度で、役人たちを絶句させてしまいます。これについては、紙背から著者の熱が伝わってくるような一文をどうぞ。
 …政治権力に対する浦上の切支丹の根強い抵抗は、目的のない「ええじゃないか踊り」や、花火のように散発的だった各所の百姓一揆と違って、生命を賭して政府の圧力に屈服しない性格が、当時としては出色のものであった。政治に発言を許されなかった庶民の抵抗として過去になかった新しい時代を作る仕事に、地下のエネルギーとして参加したものである。新政府も公卿も志士たちも新しい時代を作る為になることは破壊以外に何もして居なかった。浦上の四番崩れは、明治新政府の外交問題と成った点で有名と成ったが、それ以上に、権力の前に庶民が強力に自己を主張した点で、封建世界の卑屈な心理から脱け出て、新しい時代の扉を開く先駆と成った事件である。社会的にもまた市民の「我」の自覚の歴史の上にも、どこでも不徹底に終わった百姓一揆などよりも、力強い航跡を残した。
 文字のない浦上村本原郷の仙右衛門などは自信を以て反抗した農民たちの象徴的な存在であった。維新史の上では無名の彼は、実は日本人として新鮮な性格で、精神の一時代を創設する礎石の一個と成った。それとは自分も知らず、その上間もなく歴史の砂礫の下に埋もれて、宗教史以外の歴史家も無視して顧みない存在と成って、いつか元の土中に隠れた。明治の元勲と尊敬された人々よりも、真実新しい時代の門に手を賭けた者だったとも言えるのである。元勲たちは実は時代の波に乗せられて自己の意思なく漂流していたものである。(⑪p.105)
 彼も"忘れられた日本人"の一人です。こういう方にめぐりあわせてもらえただけでも一読の価値があるというものです。ぜひとも教科書で取り上げてほしいのですが、今の文部科学省では不可能でしょうね。政治権力に立ち向かって己の自由を守ろうとした人物ですから。いや、そもそも、原子力関連の予算欲しさに、原発事故の影響を極限まで過小評価して福島の子どもたちを見殺しにしている御仁たちですから、教育のことを真剣に考えているとはとても思えません。そして自慰史観を高唱する方々にも、ひと言。どうも、立派な日本人がいた/優れた文化があった→だから日本は素晴らしい国だ→愛するのが当然だ→愛せ、という思考法はちょっと安易で簡便すぎるのでは。そうした先哲の思想や行動や優れた文化を、どれほどの人々が学びとり我が物にしようと努力しているかで、その国の素晴らしさは決まるのではないかなあ。(勿論その上で愛する/愛さないは各人の自由だと思いますが) 例えば仙右衛門さんの場合だと、権力に対して毅然と抗い自己の自由を守ろうとする態度をどれほど多くの人が実行できるか。ま、そんな奴は非国民だと言われたら議論はそこで終わりますが。
 なお彼を尋問した奉行が、その強固な意思に辟易してこんなことを言っています。「とにかく表面は仏法に従い、ただ心の中にだけ切支丹の教えを念じて行くのなら一寸も差支えない訳だ。自分がお前に頼みたいのは、ただ公然と切支丹の教えを信仰しない様にという一事だ」(⑪p.110) この発言は興味深いですね。「本気で仏教を信仰しているかはどうでもいい、まわりに示しをつけ、御上の権威を傷つけないため、そしてその爪牙である役人の地位を守るため、キリスト教を棄てたふりをしてくれ、頼む」といったところでしょうか。官僚制の病理を感じます。東京や大阪で行なわれている、学校儀式における「日の丸」掲揚「君が代」斉唱の強制も同様なのではないかな。本当に国を愛しているかはどうでもいい、御上の権威に屈服しているところを周囲に示しなさい、ということでしょう。やれやれ。
by sabasaba13 | 2013-02-10 07:52 | | Comments(2)
Commented by noga at 2013-02-12 09:12 x
消去法の達人たちは、’ああでもなければ、こうでもない’とか、'あれではいけない、これではだめだ' と力説する。
無哲学・能天気であるから、自分は ‘どうであるか’ を述べることはできない。
過不足のない筋の通った世界観がない。空想になる。
哲学的な団結ができない仲良しクラブだから、日和見である。
つかみどころがない人物が多く、離合集散が激しい。

日本語には時制がないから、現実と非現実の区別ができない。だから、有意義な議論というものができない。
未来時制がないので、行き着く先の未来の世界を明言することができない。
理想を述べると「そんなことを言ってもだめだぞ。現実は、そうなっていない」と返される。
それで、自己の理想に向かって生涯努力する態度が保てない。

未来時制の文章が書けないのでは、脳裏に筋の通った未来社会を構築することも困難である。
代議士といえども、議論のための代理人となることは難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
Commented by sabasaba13 at 2013-02-15 21:59
 こんばんは、nogaさん。コメントをありがとうございました。ご意見をうかがって、南原繁の「現実と理想を融合させるために、英知と努力を傾けるのが政治家の任務である」という言葉を思い起こしました。理想も世界観もなく、ただ対外的な緊張を煽り、より過激な対抗策を競い合う政治家諸氏にはほとほと愛想がつきます。しょせん国民は、その知的レベル以上の政治家を持ち得ないということなのでしょうか。
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