九州編(27):隼人塚(11.9)

 駅前の広場に出ると、「龍馬とお龍 日本最初の新婚旅行の地 霧島市」という大きな看板がありました。解説板によると、1866(慶応2)年、寺田屋事件で手傷を負った龍馬に、西郷隆盛と小松帯刀が温泉療養を勧め、お龍とともに近くにある霧島を訪れたとのこと。この近くに上陸し、隼人を経て霧島温泉までの旅程でした。熱心な龍馬ファンでしたら、その足跡を辿るのも一興かと思います。もうひとつ、どこかで見たような逆S字状の意匠がほどこされた、楯の大きなレプリカがありました。解説によると、平城京跡の井戸枠として発見された、所謂「隼人の楯」です。
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 『延喜式』に「赤白土ノ墨ヲ以ッテ鈎形ヲ画ク」とあるところから判明したとのことです。隼人について、「岩波日本史辞典」から引用します。
 7世紀後期~8世紀にかけての大隅・薩摩地方の居住民の称。また畿内近国に移配されたその子孫の称。南九州の隼人は<夷人雑類>の一種とされ、683(天武12)以来9世紀初頭まで、律令制の完全な適用を猶予される代りに定期的に朝貢した。記紀の海幸山幸神話は、朝廷への奉仕の淵源譚として造作された。700(文武4)の覓国使(べっこくし)剽刧(ひょうきょう)事件以降、702(大宝2)、713(和銅6)、720(養老4)に律令制の浸透への抵抗として反乱を起した。畿内隼人は隼人司に管轄され、9世紀以降も朝廷の諸儀式に関与した。平城宮からは隼人の楯が出土。
 やれやれ、各地方に林立する核(原子力)発電所を見るにつけても、地方を犠牲にして中央が肥え太るというわが日本国の体質は古代から現代に至るまで連綿と続いているのですね。なおこれから見学しに行く隼人塚は、この隼人に関する史跡だと言われています。駅前にあった観光案内所で観光パンフレットを頂戴し、近くにあった大仰な雑居ビルを撮影し、さて昼食をいただきましょう。きょろきょろ…選択肢は一つしかありませんでした。ラーメン「万作」というお店に飛び込んで、万作ラーメンを所望。まあまあ美味しい醤油味ラーメンでしたが、小鉢に盛られた大根の浅漬けを好きなだけいただけるのはこの地の食文化なのでしょうか。
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 そして隼人駅前から十分ほど歩くと、隼人塚に到着です。整備された緑地の一画に、五重の石塔が三基と、それを囲むように兜をかぶった武人らしき石像が四体、置かれていました。後者は四天王なのでしょうか。今、スーパーニッポニカ(小学館)で調べてみると、熊襲の死霊を慰めるため、あるいは朝廷に討たれた隼人の慰霊のためという伝承があるそうです。ただ石造物は平安時代後期と推定されるので、熊襲・隼人との関係は疑問が残るとのこと。なお近くに、与謝野晶子の歌碑がありました。"隼人塚夕立はやく御空より馳せくだる日に見るべきものぞ" 隼人の怒りと悲しみに対して、彼女の思いが共振したような歌ですね。
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 隣にあった資料館を見学して隼人駅へと戻りますが、「はやとの風4号」の出発まで四十分ほど時間があります。来る途中で見かけた「停車場」という喫茶店で珈琲をいただいて時間をつぶすことにしました。良質な喫茶店と古本屋と銭湯があるのは人間的で住みやすい街だという持論をもっております。こちらは、落ち着いて静謐な雰囲気と美味しい珈琲を堪能できる素敵な喫茶店でした。"マチのほっとステーション"なんざいらないから、こうした"decent station"が増えてほしいものです。ほっと一息つきながらガイドブックを眺め、これからの旅程に想いを馳せていると、店主の女性から「肥薩線に乗られるのですか」と声をかけられました。「肥薩線 百年の旅」という充実したパンフレットをいただき、しばし肥薩線の話に花を咲かせているとあっという間に時間が過ぎていきます。名残は尽きねどそろそろ行かねば、丁重にお礼を言って駅へと向かいました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-02-23 06:05 | 九州 | Comments(0)
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