『蛇笏・龍太の山河』

 『蛇笏・龍太の山河 四季の一句』(福田甲子雄編著 山日ライブラリー)読了。高校時代の授業で心に残るものは皆無に近いのですが(なにせ無味乾燥な受験対策ばかりでした)、「現代文」の教科書に掲載されていたいくつかの現代俳句は鮮烈に覚えています。教員が授業で取り上げてくれた記憶はないので、きっと暇な時に紐解いたのでしょう。例えば“水枕がばりと寒い海がある”(西東三鬼)、“てふてふが1匹韃靼海峡を渡って行った”(安西冬衛)、“咳をしても一人”(尾崎放哉)などなど。そのうちの一つが飯田蛇笏の"芋の露連山影を正しうす"でした。当時はもちろん、今でもその感興についてうまく言えないのですが、ミクロの世界とマクロの世界をざっくりと十五文字に切り取り、しかもその場の凛冽な空気までありありと伝えてくれる秀句、といったところでしょうか。稚拙な感想でご免なさい。ところが先日、山梨県を旅行した時に甲府にある山梨県立文学館を訪れ、飯田蛇笏が山梨出身で、後半生のほとんどを境川村で暮らしその地を題材にして俳句をつくりつづけた俳人だということを知りました。そして飯田龍太が彼の子息であることも。いやはや情けないことです。展示をつらつら見ているうちに、この二人の素敵な俳句に魅了され、もっと読んでみたいなとミュージアム・ショップで購入したのが本書です。福田氏の簡にして要を得た解説と解釈を先達にして、この二人の豊穣な世界を満喫することができました。贅言はやめて、というよりも贅言を語る力もないので、私が気に入った句を紹介します。
飯田蛇笏

寒雁のつぶらかな聲地におちず
春猫や押しやる足にまつはりて
暖かや仏飯につく蠅一つ
白牡丹萼をあらはにくづれけり
採る茄子の手籠にきゆァとなきにけり
芋の露連山影を正しうす
誰彼もあらず一天自尊の秋
凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る

飯田龍太

雨音にまぎれず鳴いて寒雀
日向より園児消えれば寒き町
紺絣春月重く出でしかな
春がすみ詩歌密室には在らず
湯の少女臍すこやかに山ざくら
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな
短夜のつぎつぎ暁ける嶺の数
夕雲の一片を恋ひ夏の富士
どの子にも涼しく風の吹く日かな
去るものは去りまた充ちて秋の空
短日やこころ澄まねば山澄まず
葱抜けば身の還るべき地の香あり
野老(ところ)掘り山々は丈あらそはず
 収録されている句は、両者ほぼ同数ですが、結果として龍太の句がより心に残りました。もちろん、これは個人的な好みですけれど。一つ選べと言われたら"葱抜けば身の還るべき地の香あり"かなあ。匂いを詠んだ句では、蕪村の"斧入れて香に驚くや冬木立"が思い浮かびますが、それを超えた境地ですね。自分が死して後一体となる大地と、葱の香を重ね合わせた俳人の感性。もうこれは脱帽です。
 邪想庵などとえらそうな俳号を名乗りながら、詩嚢も涸れ果てまったく句をつくっていない昨今の小生。これを機に俳号を変えて一から出直そうかな、などと考えています。松浦武四郎の号を拝借して「馬角斎」にしようかな。
by sabasaba13 | 2013-03-01 06:14 | | Comments(0)
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