九州編(39):水俣(11.9)

 そして車を動かした運転手さん、今度は「百間排水口をご覧になりますか」と提案してくれました。ひゃっけんはいすいこう? チッソ水俣工場が、大量の水銀を垂れ流した排水口が残されているとのことです。もちろん! 正門からすぐ近く、水路に沿った路地に入ると、そこが百間排水口。工場敷地内から伸びる排水路とその排水口が当時のまま残されていました。車から降りて、写真を撮り、しばらく言葉もなく見つめてしまいました。ここが水俣病の爆心地、グラウンド・ゼロか…
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 解説板を転記します。
百間排水口は、水俣病原点の地です。
この排水口を通じて、昭和7(1932)年から昭和43(1968)年まで、チッソ㈱水俣工場において酢酸等の原料となるアセトアルデヒドの製造工程で副生されたメチル水銀化合物が工場排水とともに排出され(一時期、水俣川河口へ排出)、水俣湾は汚染されました。そのため、八代海(不知火海)一円に水俣病が発生しました。
水俣湾に排出された水銀量は約70~150トン、あるいはそれ以上とも言われ、百間排水口付近に堆積した水銀を含む汚泥の厚さは4mに達するところもありました。
昭和52(1977)年、熊本県は汚泥を除去する公害防止事業に着手し、約14年の歳月と総事業費約485億円をかけて、水俣湾に堆積した水銀ヘドロの一部浚渫・埋め立てを行い、平成2(1990)年、同事業は終了しました。
現在、百間排水口からは、浄化処理された工場排水及び家庭からの生活排水が流れています。また、水俣湾内の魚介類等の安全性を確認するための調査も継続して実施されています。
一度、汚染・破壊された環境は、いかに莫大な費用と労力をかけても元に戻すことはできません。このことを、私達は人類の教訓として受け止めていかなくてはなりません。
 水俣病からは、そのあまりにも大きな犠牲に見合うだけの様々な教訓を銘肝しなければなりませんが、最後の一文にあるように、「汚染・破壊された環境は元に戻せない」ということもその一つだと思います。しかしそうした教訓から学ぼうとしない方々が多いようです。水俣病の発見と治療に尽力し、2012.6.11に逝去された原田正純医師に関する記事を読んで衝撃を受けました(朝日新聞 2012.6.12夕刊)
 公害・環境問題に関わる人でつくる日本環境会議の代表理事だった原田さん。3月に松江市内で開かれた大会で、水俣病と福島第一原発事故を比較し、「放射能は海に出て薄まる」との専門家らの意見に怒った。「海で薄くなったものが食物連鎖で濃縮されたのが水俣病の教訓ではないのか」
 これでは亡くなった方々の魂魄はうかばれないし、苦しんでいる方々の思いは踏みにじられてしまいます。でもなぜ朝日新聞はその発言をした専門家を調べ、実名を公表しないのでしょう。詰めが甘いですね。専門家に対して、自分の発言に責任を持たせることは、メディアの重要な使命だと思いますが。
 もう一つ、メチル水銀化合物を副生したアセトアルデヒドは、プラスチックやビニールの原料だということを忘れないようにしましょう。私たちが利便な生活のために使用したプラスチックやビニールが、水俣病を生んだという慄然たる事実です。せめて知的なアンテナをはりめぐらせて、利便な生活を支えるモノが持つ暗黒面、多くの人々を犠牲にして成り立っているという一面を知ろうとする努力はすべきだと思います。核(原子力)発電所もそうですね。また携帯電話、コンピューター、ビデオ・ゲームなど現代のあらゆる小型先端機器のキャパシテーター(蓄電部)として不可欠のレアメタル・タンタラム、その原料となるコールタンをめぐって、コンゴで何が起きているのか。気になる方は、拙ブログ掲載の「アフリカン・ブラッド・レアメタル」(大津司郎 無双舎)の書評をご覧ください。
 なお迂闊にも気づかなかったのですが、排水口の近くに小さなお地蔵さんが祀られていることが前掲書に書いてありました。これは昭和電工が排水した有機水銀による新潟水俣病の被害地域、新潟県安田町から1994(平成6)年に贈られたものだそうです。その四年後には、水俣が贈った石でつくられたお地蔵さんが、阿賀野川のほとりに祀られたとのこと。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-03-10 08:24 | 九州 | Comments(0)
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